2016年03月12日

◆蕪村顕彰全国俳句大会に「文化庁が後援」を

NPO近畿フォーラム21  事務局



画期的なことが、実現しました。

NPO近畿フォーラム21は、活動主軸を「大阪文化の振興」に置いて、江戸時代の三大俳人の一人、大阪生誕の与謝蕪村を顕彰し、後世に伝承するために、平成22年4月に「蕪村顕彰俳句大学」第1期講座を開講し、今開講中の講座も既に第12期講座に達して、28年3月31日に終えることになります。

このNPO法人活動の開始と同時に大阪府、大阪市が「後援支援」に賛同して貰い、今は9団体が「後援団体」となっています。「蕪村顕彰俳句大学」の発展、と蕪村俳句の顕彰と当NPO法人の権威確保に力をお借りしています。

更に「俳句界」刊の兜カ學の森と協同して、第7期から「蕪村顕彰全国俳句大会」を開講し、地域主催の俳句講座の作品に加えて、全国から俳句応募作品を多数集められたことから 大いに母体の「蕪村顕彰俳句大学」は盛り上がりました。

こうした中で、国の中央官庁に我々の文化振興の気概と積み上げてきた実績を評価して貰おうと、国レベルの官庁に「後援」を申請したいと考え、「文化庁」に実績書類と申請書を付けて懇請をしました。

「文化庁」としても、地方での文化活動実績の精査に長期に時間を懸け、何と平成28年3月7日付で、「文化庁後援名義の使用許可」を回答した文書を送付してくれたのです。「後援期間」は28年4月1日〜28年9月30日の「第13期蕪村顕彰俳句全国大会」の時期となっています。

この「後援使用の回答」に、歓喜のあまり頭が真っ白になり感動しました。

つまり、28年の「蕪村生誕300年の年」に国の中央官庁から我々の事業に「後援」を頂いたことは、「夢」の実現だったからです。

早速、NPO法人近畿フォ−ラム主催で活動組織の「蕪村顕彰俳句大学の川原俊明学長(弁護士)」と「蕪村生誕300年記念行事実行委員会委員長(大阪市立大学分文学部教授)」に架電して知らせた処、二人からも最高の喜びの言辞が飛び出して返って来ました。

先ず、この「後援」を頂くで、5月1日に地元都島区民センターで行う学者、俳人の講演、俳人群と蕪村討論する「蕪村生誕300年記念シンポジューム」も、この「文化庁後援」を背景にして、おおいに盛り上がることは間違いありません。

更に9月11日に開催する「第13期蕪村顕彰俳句全国大会・表彰式」にしても、地元俳句受講生は勿論、全国・諸外国俳句愛好家、児童生徒から、従来を遥かに超える俳句作品の応募を決意して出句を増す感情を湧きだす事も、間違いありません。

どうしても「文化庁」が「後援を許可」してくれたこの機会に、大阪生誕であることの低い与謝蕪村の知名度を一層向上させると同時に、蕪村の名と、蕪村「俳句・絵画」を後世に継承することに絶大なお力を拝借させて頂けるものと信じます。

この意味で、今回の「文化庁後援許可」に対し、伏してお礼申し上げます。



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2015年10月09日

◆蕪村顕彰全国俳句大会 終わる

〜第11期表彰式 盛会裡に無事終了〜

NPO法人近畿フォーラム21主宰
  蕪村顕彰俳句大學  川原俊明
兜カ學の森     林 誠司


 
9月13日(日)午後1時から大阪市立淀川小学校で開催しました「蕪村顕彰全国俳句大会第11期表彰式」は盛会裡に無事終了しました。

 全国誌「俳句界」発刊の兜カ學の森と共同して、全国の俳句愛好家と蕪村顕彰俳句大學運営の「句会講座」の受講生の応募作品から専門家に選考して頂いた「一般の部」の優秀句に、「大阪府知事賞、大阪市長賞、公益財団法人関西・大阪21世紀協会理事長賞、当学長賞、兜カ學の森賞」を授与致しました。

 また、大阪市立、私立の小中高校から応募頂いた「児童生徒の部」の優秀句にも、「大阪府知事賞、大阪市教育委員会委員長賞、当学長賞、それに今期から新規に設けた淀川神社賞」を授与しました。

 さらに、諸外国から応募された俳句作品の「国際俳句蕪村賞の部」の優秀句にも、「大阪府知事賞、大阪市長賞、独立行政法人国際交流基金理事長賞」を授与致しました。

 このほか、上記3部に「佳作賞」を授与し、蕪村顕彰俳句大學の3「句会講座」の講師推薦賞も授与しました。

 式典が終了後、蕪村生誕地近郊の「蕪村公園」に、表彰された「優秀句の記念碑」を建立し除幕式をしました。受賞した児童生徒・ご家族、一般の部の受賞者が集まり、大いに盛り上がりました。

 そこで、「優秀句一覧表」を下記に掲載します。どうか優れた全国俳句大会の実績を拝読頂き度存じます。

江戸時代の俳人・与謝蕪村生誕300年の年が、来年平成28年に迎えますので、今期全国俳句大会第11期表彰式は、その「お祭り」の前哨となりました。来年与謝蕪村生誕300年記念行事は、皆様のお力を頂いて、おおいに盛り上げようではありませんか。心からお願い申し上げます。

◆一般の部

大阪府知事賞
    沢蟹は水の色して生れけり     兵庫県  前田 忍様

大阪市長賞
    白南風や通し土間よりすぐに海   千葉県  原 瞳子様

公益社団法人関西・大阪21世紀協会理事長賞
    閉めてあるはうが明るし春障子  大阪府  藤村澄子様

蕪村顕彰俳句大学学長賞
    魚すべて黒潮のもの船料理  大阪府  藤村澄子様

(株)文學の森賞
    なには津の日暮れ明るき祭鱧  大阪府  間谷雅代様

佳作賞
    校長を勤め上げたる白絣      埼玉県   荒川清司様
    戸隠の何処歩きても遠郭公     大阪府   猪田初美様    
    月涼し桶に匂へる高野槙      兵庫県   上原悦子様
    風の繰る机上の一書五月来る    大阪府   高野卓也様
    ひかり吸ふやうに蓮酒飲みにけり  大阪府  武田和子様
    地球儀の塵拭く海の日なりけり   大阪府   竹森静雄様
    蕪村句碑驚かせたる大花火     大阪府 田中靖子様
    蕪村句碑までの長堤小鳥来る    大阪府 谷口多満様
    青蘆のさやめく淀の暮色かな     奈良県   中川晴美様
    蔵のある町を飛び交ふつばくらめ   大阪府   西村妙子様
    墓ひとつ残す故郷盆の月       滋賀県   前川菅子様
    月山の花野に埋もる遭難碑      兵庫県   本村幸子様
    マンションに水母を飼へる漢かな   大阪府   森田幸夫様
    鰡飛んで旧淀川をきらめかす    大阪府   山田夏子様
    遠足の磯の香の子を集めをり    兵庫県   山田美恵子様
    闇濡れて来て蛍の飛び始む     大阪府   吉田 喬様
    時の日や流るるものに水と砂    大阪府   吉田 喬様
    一人来て一人の音の田植かな    大阪府   吉田万喜子様
    潮入に下る砂利舟蘆茂る      大阪府   吉村幸子様
    尻ぬれてよりぞんぶんに磯遊    兵庫県   蘭定かず子様

◆一般の部 講師推選賞

大橋晄講師推選賞
    谷水を引きて山家の花菖蒲     嶋崎 豊子
    短夜の沖静かなる波の音      北村恵美子
    土筆摘み島へ別れの一家かな     中村 公代

山尾玉藻講師推選賞
    見覚えや柩の上の夏帽子      大山 文子
    藻の咲いて水神へ櫂使ひけり    蘭定かず子
    雲の峰軒の卵塊濡れゐたる     小林 成子

柴田多鶴子講師推選賞
    更衣ひととき妣の香の中に    伊福悠紀
    ほうたるを呼ぶ児の減りて闇の濃し   田宮恭子
    原種みな素朴なかたち額の花    岩出くに男

◆児童・生徒の部

大阪府知事賞
    おひさまがぎらぎらしたらかき氷 大阪市立大東小学校五年  坪田 乃々様

大阪市教育委員会委員長賞
    表面に虹を浮かべてしゃぼん玉  大阪市立南高等学校一年  川元 理代様

蕪村顕彰俳句大学学長賞
    一人聞く祭囃子の笛の音     大阪市立南高等学校一年  井上 和音様

淀川神社賞
    月見草風にふかれてゆらゆらと  大阪市立淀川小学校六年年 宮本 結菜様

佳作賞
    ひがささしちょっとおとなきぶんだよ大阪市立大東小学校二年    天野  凛
    ふゆのそとナイフのようにかぜがふく  大阪市立大東小学校二年    田中 心樹
    白い息城の石がき見て走る       追手門学院小学校三年      田邊 誉人
    雨上がりしずくと共に虹が出る     大阪市立淀川小学校六年     小路 愛心
    夏の星夜空に光をときはなつ      大阪市立淀川小学校六年     新居 美咲
    帰り道秋夕焼けが照らす道       大阪市立淀川小学校六年     軽澤 礼奈
    やわらかい落ち葉の道を散歩する    大阪市立大東小学校六年     森下 心葉
    ヒマワリよ私の背をこさないで     追手門学院小学校六年      内田 佳歩
    入学式背負いなれないランドセル    追手門学院小学校六年      内海 隆飛
    夕焼雲その間から光さす        大阪市立咲くやこの花中学校二年 稲葉 遥
    夕焼に足をゆるめる君とぼく      大阪市立咲くやこの花中学校二年 小倉茉菜香
    月涼し足音止んだグラウンド      大阪市立咲くやこの花中学校二年 山口わたる
    赤とんぼだいだい色の空に飛ぶ     大阪市立南高等学校一年    酒本 愛優
    蝉時雨日差しと共に降りそそぐ     大阪市立南高等学校一年    福盛 海斗
    原色に溶けきっていくかき氷     大阪市立南高等学校一年    川元 理代
    少しでかい制服を着て新入生      大阪市立南高等学校一年    小林 瑞季
    真っ青に輝く空だきたぞ夏        大阪市立南高等学校一年    西村 明花
    Imissyouあの日作った雪だるま 大阪市立南高等学校一年    藤田美香麗
    蒲公英よ叶うと言ってこの恋が      大阪市立南高等学校二年    大西 七菜
    つばめの子お前はどこへ飛んでいく   大阪市立南高等学校二年    爲 麻土香

◆国際俳句蕪村賞

大阪府知事賞
    夕焼けや故郷へ架かる鉄道橋     台湾    蔡 佩真様

大阪市長賞
    夕焼けや子供を背負う父の影    台湾    周 姿均様

独立行政法人国際交流基金理事長賞
    天窓を開けたまま寝る夏の月     台湾    郭 芳慈様

佳作賞
    コンビニの暴走族や夏の月      台湾  宋 佳駿
    夏の月ダイダラボッチ動き出す    台湾  楊 子瑩


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2015年09月24日

◆「生誕日」が分からない蕪村と芭蕉

NPO法人近畿フォーラム21
       毛馬 一三




一茶は、今から250年前、江戸時代後期1763年=宝暦13年の5月5日に、今の信濃町で生まれている。

これを記念して信濃町では、5月5日、一茶の生誕250年を祝う催し「一茶まつり」が開かれた。町内にあるJR黒姫駅からは、地元の子どもたち40人を含むおよそ200人が、「一茶音頭」などの音楽に合わせて町を練り歩いた。

一茶の仮装をした人や、一茶のイラストを書いた手作りのプレートを持って歩く人もいて、沿道に集まった人たちを湧かせていた。

ところで、大阪の与謝蕪村は、享保元年(1716年)、大阪市都島区毛馬町(当時の摂津国東成郡毛馬村)で生またが、肝腎の「生誕日」は、残念ながら今でも分かっていない。

しかも芭蕉も、同様に「生誕日」が不明。寛永21年(1644年)三重県伊賀市生まれたのは定かだが、「生誕日」はが分かっていないのだ。しかも厄介なことに、生誕地そのものも、赤坂(現在の伊賀市上野赤坂町)説と、柘植(現在の伊賀市柘植)説の2説あり、困惑させられている。

だから、確定している「生誕日」に「お祝い」出来るのは、小林一茶だけということになり、蕪村と芭蕉を顕彰する人達にとっては、大きな戸惑いだ。

となれば、「生誕日」が定かではない以上、まず蕪村については来年の2016年に迫った生誕の「年」の「然るべき時」に、「生誕300年の記念行事」をせざるを得ないことになる。

そこで、小林一茶の「生誕日」に「お祝いの行事」が行われた機会に、本誌でこれまで触れたことの無かった小林一茶の生涯等を、綴って置きたい。その訳はこのあと追々。

◆小林 一茶は、宝暦13年5月5日(1763年)信濃北部の北国街道柏原宿(現長野県上水内郡信濃町大字柏原)の中農の長男として生まれた。

3歳の時に生母を失い、8歳で継母がやってくる。しかし継母に馴染めず、安永6年(1777年)、14歳になった時、郷里を離れて江戸へ奉公に出向く。

25歳のとき、小林竹阿(二六庵竹阿)に師事して俳諧を学ぶことになり、一茶の俳諧への取り組みが開始される。

寛政3年(1791年)、29歳の時、一旦故郷に帰り、翌年から36歳の年まで俳諧の修行のために、近畿・四国・九州を歴遊する。

享和元年(1801年)、39歳のとき再び帰省。病気の父を看病するが、1ヶ月ほど後に父は死去。以後遺産相続を巡り、継母と12年間争うことになる。

一茶は再び江戸に戻り、俳諧の宗匠を務めつつも、遺産相続権は争い続ける。

文化9年(1812年)、50歳で故郷の信州柏原に帰り、その2年後28歳の妻・きくを娶り、3男1女をもうけるが、皆幼くして亡くす。きくも、痛風がもとで、37歳の生涯を閉じた。

62歳で2番目の妻(田中雪)を迎える。しかし老齢の夫に嫌気がさしたのか、半年で離婚。

64歳で結婚した3番目の妻やをとの間に1女・やたをもうける。(やたは一茶の死後に産まれ、父親の顔を見ることなく成長するものの、一茶の血脈を後世に伝える。1873年に46歳で没。

一茶は、文政10年閨6月1日(1827年)、柏原宿を襲う大火に遭い、母屋を失い、焼け残った粗末な「土蔵」暮らしをするようになる。

そして、その年の11月19日、その土蔵の中で、64年半の生涯を閉じる。法名は釈一茶不退位。

◆さて、<一茶俳句の作風>だが、幼少期を過ごした家庭環境から、いわゆる「継子一茶」、義母との間の精神的軋轢を発想の源とした自虐的な句風をはじめとして、風土と共に生きる百姓的な視点と、平易かつ素朴な語の運びに基づく「句作」が目を引く。

その作風は与謝蕪村の天明調に対して、化政調と呼ばれている。

◆<代表的な句>は
雪とけて村いっぱいの子どもかな
大根(だいこ)引き大根で道を教へけり
めでたさも中位(ちゆうくらゐ)なりおらが春
やせ蛙(がへる)まけるな一茶これにあり
悠然(いうぜん)として山を見る蛙(かへる)かな
雀の子そこのけそこのけお馬が通る
蟻(あり)の道(みち)雲の峰よりつづきけん
やれ打つな蝿(はへ)が手をすり足をする
名月をとってくれろと泣く子かな
これがまあ終(つひ)の栖(すみか)か雪五尺
うまさうな雪がふうはりふうはりと
ともかくもあなたまかせの年の暮(くれ)

◆序でながら、<一茶の作った句の数>のことだが、句数は約2万句と言われ、芭蕉の約1000句、蕪村の約3000句に比べ非常に多い。

しかし、よく知られている「我と来て遊べや親のない雀」にも、「我と来て遊ぶや親のない雀」と「我と来て遊ぶ親のない雀」の「類句」があり、これを1句とするか3句とするかは、議論の分かれる。<参考:ウィキペディア>

以上、一茶「生誕日」祝賀会を知り、一茶の生涯を掲載してみた。

ところがここで述べたかったのは、蕪村が、「生まれた毛馬村」で父母の死後、私生児として味合う精神的軋轢と自虐的苦悩が、一茶の感慨と極めて類似したところが多々あったことだ。

これが、一茶の生涯を明らかにすることによって、蕪村と重なる予期しない苦衷の共通点が見つかり、そのことを書き留めて置きたかった。

筆者が主宰する「NPO法人近畿ホーラム21」では、大阪俳人・蕪村顕彰のために「生誕300年記念行事」を、大阪府・大阪市や大阪市大、地元の協力を得て大々的に実施したい方針で、今、諸計画を準備している。間もなく具体化する。

「生誕日」が分からない蕪村だが、小林一茶の「生誕日祝賀」に劣らないような記念主行事を、来年の適切な時に開催し、大阪の俳句文化振興に貢献し、後世に伝承したいと考えている。(了)

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2015年09月14日

◆蕪村顕彰全国俳句大会 終わる

〜第11期表彰式  盛会裡に無事終了〜

              
NPO法人近畿フォーラム21主宰
                         蕪村顕彰俳句大學



 9月13日(日)午後1時から大阪市立淀川小学校で開催しました「蕪村顕彰全国俳句大会第11期表彰式」は盛会裡に無事終了しました。

 全国誌「俳句界」発刊の兜カ學の森と共同して、全国の俳句愛好家と蕪村顕彰俳句大學運営の「句会講座」の受講生の応募作品から専門家に選考して頂いた「一般の部」の優秀句に、「大阪府知事賞、大阪市長賞、公益財団法人関西・大阪21世紀協会理事長賞、当学長賞、兜カ學の森賞」を授与致しました。

 また、大阪市立、私立の小中高校から応募頂いた「児童生徒の部」の優秀句にも、「大阪府知事賞、大阪市教育委員会委員長賞、当学長賞、それに今期から新規に設けた淀川神社賞」を授与しました。

 さらに、諸外国から応募された俳句作品の「国際俳句蕪村賞の部」の優秀句にも、「大阪府知事賞、大阪市長賞、独立行政法人国際交流基金理事長賞」を授与致しました。

 このほか、上記3部に「佳作賞」を授与し、蕪村顕彰俳句大學の3「句会講座」の講師推薦賞も授与しました。

 式典が終了後、蕪村生誕地近郊の「蕪村公園」に、表彰された「優秀句の記念碑」を建立し除幕式をしました。受賞した児童生徒・ご家族、一般の部の受賞者が集まり、大いに盛り上がりました。

 そこで、「優秀句一覧表」を下記に掲載します。どうか優れた全国俳句大会の実績を拝読頂き度存じます。

 江戸時代の俳人・与謝蕪村生誕300年の年が、来年平成28年に迎えますので、今期全国俳句大会第11期表彰式は、その「お祭り」の前哨となりました。来年与謝蕪村生誕300年記念行事は、皆様のお力を頂いて、おおいに盛り上げようではありませんか。心からお願い申し上げます。

<◆一般の部>

大阪府知事賞
    沢蟹は水の色して生れけり     兵庫県  前田 忍様

大阪市長賞
    白南風や通し土間よりすぐに海   千葉県  原 瞳子様

公益社団法人関西・大阪21世紀協会理事長賞
    閉めてあるはうが明るし春障子  大阪府  藤村澄子様

蕪村顕彰俳句大学学長賞
    魚すべて黒潮のもの船料理  大阪府  藤村澄子様

(株)文學の森賞
    なには津の日暮れ明るき祭鱧  大阪府  間谷雅代様

佳作賞
    校長を勤め上げたる白絣     埼玉県   荒川清司様
    戸隠の何処歩きても遠郭公   大阪府   猪田初美様    
    月涼し桶に匂へる高野槙     兵庫県   上原悦子様
    風の繰る机上の一書五月来る    大阪府   高野卓也様
    ひかり吸ふやうに蓮酒飲みにけり 大阪府  武田和子様
    地球儀の塵拭く海の日なりけり  大阪府   竹森静雄様
    蕪村句碑驚かせたる大花火    大阪府 田中靖子様
    蕪村句碑までの長堤小鳥来る    大阪府 谷口多満様
    青蘆のさやめく淀の暮色かな     奈良県   中川晴美様
    蔵のある町を飛び交ふつばくらめ  大阪府   西村妙子様
    墓ひとつ残す故郷盆の月     滋賀県   前川菅子様
    月山の花野に埋もる遭難碑     兵庫県   本村幸子様
    マンションに水母を飼へる漢かな   大阪府   森田幸夫様
    鰡飛んで旧淀川をきらめかす    大阪府   山田夏子様
    遠足の磯の香の子を集めをり    兵庫県   山田美恵子様
    闇濡れて来て蛍の飛び始む     大阪府   吉田 喬様
    時の日や流るるものに水と砂    大阪府   吉田 喬様
    一人来て一人の音の田植かな    大阪府   吉田万喜子様
    潮入に下る砂利舟蘆茂る     大阪府   吉村幸子様
    尻ぬれてよりぞんぶんに磯遊    兵庫県   蘭定かず子様

<◆一般の部 講師推選賞>

大橋晄講師推選賞
    谷水を引きて山家の花菖蒲     嶋崎 豊子
    短夜の沖静かなる波の音      北村恵美子
    土筆摘み島へ別れの一家かな     中村 公代

山尾玉藻講師推選賞
    見覚えや柩の上の夏帽子      大山 文子
    藻の咲いて水神へ櫂使ひけり    蘭定かず子
    雲の峰軒の卵塊濡れゐたる     小林 成子

柴田多鶴子講師推選賞
    更衣ひととき妣の香の中に   伊福悠紀
    ほうたるを呼ぶ児の減りて闇の   田宮恭子
    原種みな素朴なかたち額の花   岩出くに男

<◆児童・生徒の部>

大阪府知事賞
    おひさまがぎらぎらしたらかき氷 大阪市立大東小学校五年 坪田 乃々様

大阪市教育委員会委員長賞
    表面に虹を浮かべてしゃぼん玉  大阪市立南高等学校一年  川元 理代様

蕪村顕彰俳句大学学長賞
    一人聞く祭囃子の笛の音     大阪市立南高等学校一年  井上 和音様

淀川神社賞
    月見草風にふかれてゆらゆらと  大阪市立淀川小学校六年年 宮本 結菜様

佳作賞
    ひがささしちょっとおとなきぶんだよ大阪市立大東小学校二年    天野  凛
    ふゆのそとナイフのようにかぜがふく  大阪市立大東小学校二年    田中 心樹
    白い息城の石がき見て走る       追手門学院小学校三年      田邊 誉人
    雨上がりしずくと共に虹が出る     大阪市立淀川小学校六年     小路 愛心
    夏の星夜空に光をときはなつ      大阪市立淀川小学校六年     新居 美咲
    帰り道秋夕焼けが照らす道       大阪市立淀川小学校六年     軽澤 礼奈
    やわらかい落ち葉の道を散歩する    大阪市立大東小学校六年     森下 心葉
    ヒマワリよ私の背をこさないで     追手門学院小学校六年      内田 佳歩
    入学式背負いなれないランドセル    追手門学院小学校六年      内海 隆飛
    夕焼雲その間から光さす        大阪市立咲くやこの花中学校二年 稲葉 遥
    夕焼に足をゆるめる君とぼく      大阪市立咲くやこの花中学校二年 小倉茉菜香
    月涼し足音止んだグラウンド      大阪市立咲くやこの花中学校二年 山口わたる
    赤とんぼだいだい色の空に飛ぶ     大阪市立南高等学校一年    酒本 愛優
    蝉時雨日差しと共に降りそそぐ     大阪市立南高等学校一年    福盛 海斗
    原色に溶けきっていくかき氷     大阪市立南高等学校一年    川元 理代
    少しでかい制服を着て新入生     大阪市立南高等学校一年    小林 瑞季
    真っ青に輝く空だきたぞ夏       大阪市立南高等学校一年    西村 明花
    Imissyouあの日作った雪だるま 大阪市立南高等学校一年    藤田美香麗
    蒲公英よ叶うと言ってこの恋が      大阪市立南高等学校二年    大西 七菜
    つばめの子お前はどこへ飛んでいく   大阪市立南高等学校二年    爲 麻土香

<◆国際俳句蕪村賞>

大阪府知事賞
    夕焼けや故郷へ架かる鉄道橋     台湾    蔡 佩真様

大阪市長賞
    夕焼けや子供を背負う父の影    台湾    周 姿均様

独立行政法人国際交流基金理事長賞
    天窓を開けたまま寝る夏の月     台湾    郭 芳慈様

佳作賞
    コンビニの暴走族や夏の月      台湾  宋 佳駿
    夏の月ダイダラボッチ動き出す    台湾  楊 子瑩



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2015年09月09日

◆与謝蕪村が大阪生誕俳人ってご存知?

NPO近畿フォーラム21
毛馬 一三

 
松尾芭蕉、小林一茶と並ぶ江戸俳諧の巨匠与謝蕪村の生誕地が、大阪毛馬村(現・大阪市都島区毛馬町)だと、江戸時代から「定説」になっていたものと信じていた。

ところがそうではないことが分かり、驚かされた。

というのは、私が代表のNPO近畿フォーラム21主催俳句講座「蕪村顕彰俳句大学」で、関西大学文学部の藤田真一教授の講演で初めて知ったのだ。

教授講演によると、蕪村生誕地が大阪毛馬であることが「定説」になったのは、実は終戦直後のことで、奈良県で「蕪村直筆の書簡」が見つかったのがキッカケだったとの説明だった。

藤田教授はさらに、次のように語った。

<<蕪村は、自分の故郷のことには何故か余り触れたがらず、唯一、安永6年(1491)に発刊した冊子「夜半楽」(20頁ほど)の冒頭に「春風馬堤曲」を書き、毛馬村の側の淀川の馬堤に触れながら、18首の俳句を添えている。

毛馬村の名前を出したのは、唯一この「春風馬堤曲」だけである。それでも自分の生誕地がこの毛馬村だったとは、弟子や俳人仲間にも殆ど触れていない。

ところが、蕪村が自ら生誕地が大阪毛馬村だと初めて記したのは、蕪村が主宰する「夜半楽」の弟子に、この「春風馬堤曲」の冊子を贈呈した手紙の冒頭添え書に書いていたことが後々に分かったのだ。

冊子を贈呈した大阪在住弟子とは、柳女・賀端(がつい)で、添え書きの中に、自分の生誕地が毛馬村だと、下記のようにはっきりと書いている。

(春風馬堤曲―馬堤は毛馬塘(けまのつつみ)也。即、余が故園(注釈・ふるさと)也。余幼童之(の)時、春色清和の日ニは、必(かならず)ともどちと此(この)堤上ニのぼりて遊び候。水ニハ上下の船アリ、堤ニハ往来ノ客アリ」)。


この添え書きは、一応江戸時代から「物証」の形を取ってはいたが、毛馬村が生誕地との確実説とはなっては居なかった。

何故なら、江戸時代の発刊諸本は複製本が多く、勝手に削除・加筆されることが多々あった。「夜半楽」弟子に宛てたこの「添え書き」ですら、複製か、それとも蕪村直筆なのか、多々異論が渦巻き、江戸時代以降長い間、確定していなかったのだ。

従って蕪村生誕地は、関西各地を含めた「複数説」が広がっていたという。

ところが前記の如く、終戦直後、奈良県で偶然見つかった同「書き添え書簡」が、「蕪村直筆」だと蕪村学者によって公式に認定された。

これよって、やっと「蕪村生誕地が毛馬村」であると確定したのである。

しかも「春風馬堤曲」冒頭の記述の、淀川風景の描写と切ない郷愁の18首も、毛馬が生誕地であることを補完する形を示すことになり、遂に毛馬村生誕地が不動のものになった訳だ。>>

この経過を考えると、弟子宛の蕪村生誕地を記述した1通の「蕪村直筆添え書き書簡」の学者公認の意味は大きい。

これがなかったら、蕪村が俳諧史に大阪俳人として登場することも無かったことになる。

蕪村が大阪毛馬生誕の俳人と定説になってから、僅か70年ほどしかならない。この影響があって、芭蕉や一茶とは異なり、大阪俳人として蕪村の顕彰が疎かにされてきたことは事実だ。

これからは2年後の蕪村生誕300年に向けて、私たちのNPO近畿フォーラム21で、生誕300年記念行事実行を進めることにしている。

目下検討中の”記念行事” は、   

@「国際俳句蕪村賞」を諸外国応募者に授与(大阪知事賞・大阪市長賞・国際交流基金賞等)
A シンポジウム 28年5月1日開催(村田正博市大教示・俳句学者・・俳句主宰者が参加)
B 屋形船の「句会」(蕪村生誕地近郊の1級河川「淀川・大川」で)
C 蕪村歩こう会:(大阪市立大学文学部と共同事業)
D 蕪村公園内か、何処かに「蕪村銅像建立」
E 蕪村公園へ植樹(蕪村俳句に詠まれた樹木)
F 蕪村生誕300年記念「俳句大会」(全国・海外から作品募集)
G 蕪村に宛てた絵手紙展(蕪村俳句からの絵手紙を募集・展示会)
H 蕪村カルタつくり(蕪村俳句から作ったカルタを募集・優秀作品を展示会)
I「蕪村紙芝居」と「蕪村顕彰ライブコンサート」同時開催
J 蕪村公園・毛馬閘門・毛馬胡瓜で生誕地都島区を広める「まちづくり」
K 2016年秋「生誕300年祭」を開催。諸外国俳句愛好家を招請

以上の事業を、推薦団体、協賛団体・協賛者のご協力を得て、生誕300年を迎える年迄に順次行いながら、2016年の生誕300年秋に盛大な「生誕記念祭」を行いたいと考えている。

既に、2年前から兜カ學の森と共同して、「蕪村顕彰全国俳句大会」を行うと共に、上記の「蕪村生誕記念祭」も共同で盛大に開催することを合意している。

大坂生誕与謝蕪村生誕記念事業をすすめることによって、後世継承と全国・諸外国に「世界最短の詩・俳句」文化振興を進めていきたいのが、私の願いである。
(了)
        (修正・加筆して再掲)
                         
posted by 21キンキ at 12:44| 活動報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月26日

◆蕪村公園、知ってる?

◆蕪村公園、知ってる?
            NPO法人近畿フォーラム21

毛馬 一三 



与謝蕪村は、松尾芭蕉、小林一茶と並ぶ江戸俳諧を代表する俳人だが、その蕪村の生誕地がどこかということになると、あまりご存じない人が多い。

蕪村は、紛れも無く大阪市都島区毛馬橋東詰(摂津東成郡毛馬村)で生誕している。それを顕彰する「蕪村記念碑」が、淀川毛馬閘門側の堤防に立っている。かの有名な蕪村の代表作・「春風や堤長うして家遠し」の句も、この記念碑に刻んである。

この他の顕彰物は、毛馬閘門内に「記念碑」がある。更にはそこからから流れる大川(旧淀川)を南へ500mほど下った所の橋の名だ「春風橋」で、蕪村直筆文字の「春風橋」が刻まれている。ところが、有名な蕪村でありながら、生誕地周辺で蕪村を顕彰する記念碑は、この3件しかなかった。ここに「蕪村公園」が誕生したのだ。このことは追々。

さて蕪村は、享保元年(1716)に毛馬村の裕福な農家(庄屋・問屋・宿屋)で生まれた。母親は奉公人で、謂わば庄屋主との間に生まれた子供で、家系を引き継げない「私生児」だった。

幼くして両親を失なった不運が重なり、私生児扱いの蕪村は艱難辛苦重ね、結局生誕家には居られなくなった。このため、18歳〜20歳の頃、毛馬村を出奔、江戸に向かった。

途中京都で俳人早野巴人知り合い、俳諧の修行に勤しんだあと、早野巴人と江戸に行き、弟子となった。運命の出会いだったのだ。巴人師匠から俳諧を学び出したが、26歳の時、巴人師匠が没した。師匠死後、芭蕉への思いの強かった蕪村は、芭蕉の跡を慕って奧羽地方を放浪。その後、宝暦元年(1751)、京に移って俳諧に励む一方、南宋画家にも取り組み、池大雅と並ぶ名声を得ている。

京で68歳の生涯を閉じたが、終生大阪には何度も吟行に来たものの、故郷毛馬村には一歩も足を踏み入れていない。しかし生誕地への郷愁は人一倍強くて、「春風馬堤曲」を書き、「生誕地が毛馬であり、子供の頃楽しく遊んだこと想いながら綴ったものだ」と、弟子への手紙に記している。

このように大阪とは縁を絶ち切った蕪村だったから、いまだに大阪には蕪村に関する伝承文献が殆ど無ければ、生誕地に関する資料すら皆無だ。これ迄の長い間、大阪で「蕪村生誕祭」が開催出来ず、蕪村を顕彰する「資料館」すら、作ることにも想い付かなかった主理由だった。

しかし、10年頃前から都島区内を中心に、地元俳聖蕪村を大々的に顕彰しようという関係者の運動が活発になりだした。筆者も足並みを揃えて、大阪市長や助役らと協議しながら運動をおこなった。

こうした動きに応じて、大阪市が18年度から2年計画で、前述の「記念碑」と「春風橋」の中間にある市有地1.1hrの土地に、約2億5千万円をかけて「蕪村公園」を整備した。

同「蕪村公園」の整備には、当初、蕪村の俳句や絵を紹介する「東屋」を建てるほか、公園内に大きな広場、その周辺には蕪村の句の石碑や蕪村句に因んだ花木植栽をするよう要請した。

そうすれば大阪が蕪村生誕地であることが知れ渡り、蕪村への集客に繋がることによって、都島区名所に成る筈だと申し入れ続けた。しかし、蕪村公園のシンボルの「東屋」は、浮浪者の溜まり場となり、管理運営上難しいとの判断から、「同屋」の建設は見送られた。

序で乍ら、出来上がった同公園は、全国的に知られた大阪桜の名所・「毛馬桜の宮公園」の最北端に位置し、市の中心地中之島に通じる大川沿いの桜回廊の出発点に位置する。また学生レガッタ練習や「花見遊覧船」の折り返し地点となっており、近くには国の重要文化財「毛馬閘門」がある。

いまは公園植栽も進み、公園整備はしっかり進められ「桜回廊」と同じ華やかさを見せており、顕彰されている蕪村本人も満足ではないだろうか。

私が主宰するNPO法人近畿フォーラム21講座「蕪村顕彰俳句大学」は、受講生の「入賞作品プレート碑」を既に10基(2015年春現在)建立。「蕪村句」に登場する樹木の記念植栽を支援しており、2016年には「蕪村生誕記念祭」を実施する。
是非、「蕪村公園」をご覧になり、「蕪村望郷の念」を察して頂きたい。(了)
posted by 21キンキ at 08:59| 活動報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月17日

◆「第28回 575で遊ぼう!」開講 

◆「第28回 575で遊ぼう!」開講 
         
NPO法人近畿フォーラム21  事務局



「第28回 アンジュ5・7・5で遊ぼう!」講座が7月16日に、15名の受講生が出席して
開講しました。

先ず最初に、石垣講師が、今回第28回のお題は「 夜店、ハンカチ」にしますと、発表されました。

つづいて、講座の恒例に従い石垣講師が、前27回の「お題 日傘、黴」について振り返る講演をされ、受講生出「優秀な5・7・5 2出句紹介」と「講師寸評」をされました。下記に掲載します。

@ 日傘さし二人で行ったカフェかな
<寸評> 夏の暑い日に、友達と二人でカフェへ行った。暑いのを我慢した後、良く冷えた飲み物を会話を楽しみながら飲むのは格別であるとの心情を上手に表現している。

A 餅にカビ生えても平気で食べる父
<寸評> 冷蔵庫の無かった時代、少し餅を置いておくと直ぐにカビが生えた。昔の人はカビを取って焼き、平気で食べていた。食べ物を大事にしていた時代の575である。

(2作品とも、季節を見事に表現され、講師寸評にあるように「作者の心情と、食べ物を大事にしていた時代」を詠まれた句ですね。      事務局 )

講座は、いよいよ今回のお題の挑戦にはいりました。

石垣講師が受講生の作品つくりの参考になる2例句を示されました。
@ ハンカチの二枚目使う午後となる
<解釈> 暑い日になると思いハンカチを二枚用意していたが、午後になり辛抱できず既に二枚目のハンカチを使ってしまった。

A 夜店へと赤き鼻緒の下駄履いて
<解釈> <カラコロと音を立てながら浴衣を来たこどもが親に手を引かれ夜店に向かっているよ。喜び勇んで夜店へ向おうとするこどもの心情を表している。>

この日の受講生のお題の5・7・5作品から、1作品が紹介され、講師寸評が発表されました。
  ・夜店にて子供楽しむ夏休み
  <寸評> <夜店にこどもを連れてきた親が、こどもの喜ぶ顔をみながら自分も楽しくなっている気持 ちを素直に表現した素晴らしい5・7・5作品である>

このあと石垣講師から「5・7・5作品つくり心構え」について、際立った論説が述べられました。
  <作者の気持ちを出す。正直に表現する。
  575は、多くの説明が省略されているので、読み手に取って受け取り方が違う。
  それぞれの光景を感じとって貰えるように。>ということでした。
  
その上で、大切な次回以降の進め方を語られました。
  <講座を始め1年が経過しました。
  より楽しめる新たな講座の進め方を考え、実現して行きたいです。>

  最後に講師から、次回のお題は「盆踊り、朝顔」とすると発表されました。

(受講生の皆さん!石垣講師は、俳誌「うまや」主宰の有名な俳人です。その石垣講師から、素晴らしい講座を受けられ。5・7・5つくりの心情と楽しさを熟知されながら、思いに添った優れた作品を沢山つくられました。講座は1年経ちました。皆さんのご努力と熱心さは、各界からも注目されています。どうか生甲斐に一端として、これからも頑張って頂きます様祈念致します。     事務局 )

以上
  
posted by 21キンキ at 19:34| 活動報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月20日

◆第26回「575で遊ぼう!」開講

NPO法人近畿フォーラム21  事務局
 

6月18日に第26回「アンジュ5・7・5で遊ぼう!」講座が開講しました。

お元気な15名の受講生が、石垣講師の講座に熱心に参加されました。

講座の冒頭に石垣講師が、今回26回のお題は、「油虫、夏帽子」としますと、皆さんに事前に伝えられました。

講座は、上記作品つくりに取り掛かる前に、石垣講師が恒例の「前回のお題:梅雨、田植え」に出句された受講生の作品の中から、お二人の「秀作」を発表され、講師「寸評」も添えられました。

下記に掲載します。

@梅雨晴れて光さしこみ虹が出る

<寸評> 梅雨時期の雨の降る日に部屋にいる。雨が止んで太陽の光が差し込んできた。
 ふと、部屋から空をみるとキレイな虹が出ていた。
 雨が止み色鮮やかに出ている虹を喜ぶ気持ちが出ている。

A歩こう会梅雨の晴れ間を楽しみつ

<寸評> 楽しみにしていた歩こう会の日。うまい具合に雨が止みお天気になった。
 お友達との歩こう会を楽しむ素直な気持ちが出ている。

(@の作品は、梅雨晴れて光が差し込み出し、窓を開けると、空に「綺麗な虹」を見つけたという「写生」の5・7・5句は、素晴らしいですね。
Aの作品は、梅雨の晴れ間に歩こう会を愉しむ心情と行動が、如実に伝わってきて、実に感動致します。ー事務局)

この後講座は、今回のお題「油虫、夏帽子」の作品つくりに移り、まず石垣講師が「貴重な例句」を発表されました。

@ 油虫叩きいちいち見せにくる
<講演> 家に出てきたごきぶりを、こどもが喜々として退治した。褒めて欲しくてこんな大きなごきぶりを退治したといちいち見せに来る様を詠っている。

A 校長の机の上の夏帽子
 <講演> 先生も生徒も夏で暑い。校長室を訪れた生徒が校長の机の上をよく見てみると夏帽子がある。尊敬する校長先生も人間で暑いのだなあと感じた心情を表現している。

この講師の「例句」を参考にしながら、15名受講生の方々は、今回のお題「油虫、夏帽子」の作品つくりに挑戦されました。

石垣講師が、今回のお題から出来上がった受講生の作品から、1句をご紹介されました。

・油虫暗い所に姿消し
<講師寸評> <台所であろうか。出てきたと思ったら足早に暗闇に消えてしまい退治できなかった思い出を素直に表現した素晴らしい5・7・5作品である。>

この句のご紹介に続いて、石垣講師は5・7・5作品つくりに挑む心がけについて、講師評を述べられました。
  <光景を捉える。作品の中に一つ焦点となるポイント(見せどころ)を入れる事。
  読み手の共感を得られる、味わい、面白みのある作品を作って欲しい。>


講座は、これで締めくくられ、石垣講師から、受講生が最も関心のある次回のお題を「日傘、黴 」としますと、伝えられました。

 その上で、次回以降の展開を
  <作品に気持ちが出ている。気持ちを素直に表現するを目標に講座を進めていく>
ことにしましょうとも述べられました。

(本当に、石垣講師のご指導が効果を上げて、受講生の方々の5・7・5作品は、会を重ねる毎に成果を益々上げています。各界からも関心が高まっています。喜ばしいことですね。受講生の皆さん!頑張って下さい。
− 事務局)以上
  
posted by 21キンキ at 06:48| 活動報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月21日

第11期「蕪村顕彰全国俳句大会」講座始まる

NPO法人近畿フォーラム主宰:蕪村顕彰俳句大學 事務局



注目の第11期「蕪村顕彰全国俳句大会」4月講座が始まりました。

まず4月10日には大橋晄講師による句会講座から開講しました。開講に先立ち、講師より第10期表彰の受賞句、佳作賞、講師推選賞が披露・賞状も手渡され、受講生の皆さんから、歓声と温かい拍手を受けました。続いて受講生出句作品の互選と、大橋講師による「選句」「寸評」が行われました。

つづいて、4月の17日には山尾玉藻講師による2回目の句会講座が開講しました。同講座も同様に第10期の各表彰受賞句の披露と賞状が渡され、受賞者の皆さんから祝福を受けました。
この日の山尾講座の兼題は「磯遊び」「潮干狩り」。受講生出句作品の互選のあと、山尾講師が秀作や佳作の選句と寸評を行われました。
 
山尾講師から講座修了後、出句作品の「秀作作品の紹介と寸評」を頂きましたので、下記に掲載致します。

 <秀作寸評                   山尾玉藻>

  尻ぬれてよりぞんぶんに磯遊      蘭定かず子
 最初は衣服が濡れないように気を付けて遊んでいたものの、遂にズボンのお尻が濡れてしまった。お尻も濡れてしまったことだし、とそれ以後は大胆に思いきり磯遊を楽しんだのである。人の心理を巧みに捉えた楽しい句である。

  風呑んで大渦潮となりにけり       大山文子
 観潮船からの嘱目詠。本来は渦巻く潮の勢いで風が生まれるのだが、海風を呑みこんでいよいよ大きな渦潮となったとする逆転の発想が活きている。ダイナミックな句である。

  潮干狩の団体乗りく赤穂線        上原悦子
 電車に乗り込んできた団体客は皆が軽装でそれらしき荷物を下げていて、季節柄ひと目で潮干狩へ出かける人達だと解ったのだろう。ローカルな「赤穂線」が良い。

有り難う御座いました。

 ところで、3回目の講座は4月23日(木)に、「鳰の子」俳句会主宰の柴田多鶴子講師による新講座が開講します。既にご報告しておりますが、この講座は、恒例の会場(学校法人追手門学院大阪城スクエアー6F)とは別の、高槻市の高槻市立総合交流センター(高槻市紺屋町1番2号 電話:072-685-3721)で、柴田多鶴子講師によって開講致します。
 2会場に分けて開講することは、当講座が始まって以来初めての画期的なことです。しかも柴田多鶴子講師による講座は、初回ですので、地元の俳句愛好受講生から大いなる期待が寄せられています。

 ところで、冒頭に書きましたが、この講座は、9月13日(日)午後1時から、句会受講生は勿論、全国俳句愛好家から俳句作品の応募を行い、全国最優秀句を選考する「表彰式」を行い、「賞状」を授与します。
 詳しくは、下記の「お知らせ」を ご拝読下さい。

第11期蕪村顕彰全国俳句大会のお知らせ
蕪村顕彰俳句大學 事務局
蕪村顕彰俳句大学は、兜カ學の森と共同して、この4月1日から第11期講座「蕪村顕彰全国俳句大会」を開講します。
第11期蕪村顕彰全国俳句大会は、大阪で「全国からの優秀句」を「表彰」するものです。

◆応募作品について、8名の選考者によって「優秀句」をご選考して頂きます。
選考による「優秀句」については、兜カ學の森の月刊誌「俳句界」に「受賞作品と選者寸評」を掲載します。

また、3講師による「講師推薦賞」授与も行います。同講師推薦賞該当句は、7月末までに事務局宛てにご送付願います。

以下、第11期講座「蕪村顕彰全国俳句大会表彰式概要」を、記載します。ご拝読してご応募をして頂きます様お願い致します。
       
「第11期蕪村顕彰全国俳句大会」の概要
  (1)<作品応募期>
    平成27年 5月10日〜平成27年7月15日まで(締め切りをお守りください)。
  (2)<応募対象者:一般の部のみ> (当講座受講生・全国俳句愛好者)
   ・<応募先 > ・株式会社 文學の森  東京都新宿区高田馬場2−1−2−8F 
                                                 電話: 03−5292−9188
・<作品の応募料> :1,000円 (2句;全国俳句愛好家応募のみ)
<ただし、蕪村顕彰俳句大学受講生応募料は無料>

・<表彰式日時>・平成27年9月13日(日) 13時開催
・<式典会場:>大阪市立淀川小学校 多目的室   大阪市都島区友渕町3−5−29 
                                               電話: 06−6921−0001
・<プレート碑除幕式>式典のあと、会場近郊の蕪村公園で「優秀句記念プレート碑」を建て、除幕式を開催。
         
◆ <なお、表彰式での「一般部」以外の「児童生徒の部の応募」、「国際俳句蕪村賞の部」(諸外国の俳句愛好者の応募)表彰選考は、三村純也大阪芸術大学教授(当大会選考委員長)に担当して頂きます>
 
以上が、「第11期蕪村顕彰全国俳句大会」の概要です。

◆講座受講生のみなさまへ
 
どうか、日頃から句会講座で研鑽されている受講生と今回初めて参加される高槻市受講生の方々は、積極的に俳句作品を応募され、全国俳句愛好家と競って「全国一の優秀句賞」を受賞されます様、期待申し上げます。

posted by 21キンキ at 11:22| 活動報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月13日

◆大阪行脚の蕪村 生誕地には帰らず

NPO法人近畿フォーラム21



江戸時代中期の大阪俳人で画家である与謝蕪村は、享保元年(1716年)、摂津国東成郡毛馬村(大阪市都島区毛馬町)に生まれている。生誕地が大阪毛馬村と余り周知されていない事実のことは、本誌で既に触れている。

しかし、蕪村が俳人として大阪の中心部を活躍の舞台にしていたことには触れていない。
むしろそれに気づかなかったのが本当のところだ。それはこれから追々。

蕪村は、17歳〜20歳頃、生誕地毛馬を飛び出て江戸に下った。なぜ江戸に下ったのか。これすら未だはっきりしない。しかも蕪村は出奔以来、極度な郷愁は感じながらも、実際は生誕地「毛馬村」に一歩も足を踏み入れていない。なぜだろう。

京都丹後与謝から毛馬村の商屋の奉公人として来た母親が、庄屋と結ばれて蕪村を産んだ。母親は若くして死去したため、蕪村が庄屋の跡継ぎを委ねられたものの、正当嫡子でないために庄屋経営責任をも果たせず、周囲や同業からの過酷ないじめに遭わされたこともあって、意を決し毛馬村を飛び出したようだ。

しかも蕪村が飛び出した先が、江戸の日本橋石町「時の鐘」辺に住む俳人早野巴人だ。だが、どうしてこんな超有名な俳人に師事し俳諧を学ぶことができたのか、田舎の毛馬村と江戸との結びつきや、師匠との今謂うコネがどうして出来たのか、ミステリーだらけだ。

この時蕪村は、師の寓居に住まわせて貰い、宰鳥と号している。


<寛保2年(1742年)27歳の時、師が没したあと、下総国結城(茨城県結城市)の砂岡雁宕(いさおか がんとう)のもとに寄寓し、松尾芭蕉に憧れてその足跡を辿り東北地方を周遊した。その際の手記を寛保4年(1744年)に編集した『歳旦帳(宇都宮歳旦帳)』で、初めて「蕪村」と号したのである。

その後丹後、讃岐などを歴遊し、42歳の頃京都に居を構えた。 45歳頃に結婚し、一人娘くのを儲けた。島原(嶋原)角屋で句を教えるなど、以後、京都で生涯を過ごした。明和7年(1770年)には、夜半亭二世に推戴されている。

京都市下京区仏光寺通烏丸西入ルの居宅で、天明3年12月25日(1784年1月17日)未明68歳の生涯を閉じた。>出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

蕪村は、定住していた京都から船で淀川を下り、頻繁に大阪にやって来ていたことが、最近分かってきた。

船から陸地に上がったのは、生誕地毛馬村とは全く正反対西側の「淀屋橋や源八橋」からで、ここから大阪市内にある数多くの門人らを訪ねて吟行に回っている。

蕪村は、俳人西山宗因のお墓(大阪市北区兎我野町 西福寺)を訪ね、大阪の蕪村の門下人の武村沙月、吉分大魯(よしわけ・たいろ)のほか、西山宗因の門下の上島 鬼貫(伊丹の人)の処を回っている。大阪市内の各地を重点的に回っていたことになる   

特に、吉分大魯は、阿波の出身で、安永2年 (1773)から6年まで大阪「蘆陰舎」に滞在(安永7年、兵庫で没)しており、この「蘆陰舎」に蕪村は足繁く立ち寄っている。逆に大魯をつれて、淀川を船で上り、京都の蕪村門下を代表する高井几董に会わせるなど、京都―大阪往復行脚は活発だったようだ。(大阪市立大学文学部)

早い話、蕪村にとり「大阪」が活躍の場だった訳だ。これもあまり知られていない。

これを証ように、今の大阪市北区梅田茶屋町の商店街の広場に「菜の花や月は東に日は西に」の蕪村句を刻んだ高さ1m、幅50cmの碑があり、顕彰されている。

ここでは地域の有志が「菜の花」を植え、「菜の花の散歩道」という「まち起こしイベント」を催している。つまりこの辺りは、蕪村が毛馬橋から上がって、散策したところだ。

しかし、正に近郊の蕪村生誕地の「毛馬町」に、前述の様に一歩も足を踏み入れていない。父母に対する「望郷」の念は強くあっても、幼少の苦節がそうさせたのだ。

さて、後世のために大阪俳人蕪村を顕彰し、蕪村俳句文化振興をしようという筆者主宰のNPO法人近畿フォーラム主催「講座蕪村顕彰俳句大學」(学長 川原俊明弁護士)開講は、立ち上げてから、もう5年が経っ。

応募の優秀句には「知事、市長、教育委員会委員長、学長賞」、海外から応募の優秀句には「国際交流基金理事長賞」等の各賞を授与する「表彰式」を毎年2回行い、蕪村生誕地近郊の大阪市造営の「蕪村公園」に、「表彰式」のあと「優秀句記念プレート碑」を設置している。

この4月からは、第11期講座が始まり、来年の蕪村生誕300年記念を控えて、9月には兜カ學の森と共同して「蕪村顕彰全国俳句大会表彰式」を行う。是非、文學の森刊「俳句界」を通じて、俳句作品のご応募を読者の方にお願いした。

そんな折、驚くべきことが分かった。

大阪俳人としての名を高めた与謝蕪村が、生誕地毛馬村で幼少の頃、父母と一緒に「氏子」として参詣を続けていた氏神神社が今、大阪市毛馬町にある「淀川神社」であることが分かったのである。

これにより、昨年の暮、当NPO法人近畿フォーラム21と、「淀川神社」が共同して蕪村俳句顕彰し、蕪村参詣経験の「淀川神社」の名を広める等の諸活動を行うことになった。

その手始めに今年のお正月から「淀川神社」で、俳句愛好者が自作の俳句を「蕪村絵巻」に書き込み、境内に吊るす祭事を始め、マスコミも取り上げてくれた。

これからは、この活動が「望郷の念」の強かった蕪村が、来年28年の「蕪村生誕300年記念年」を控えて、現代の人たちが蕪村の「望郷の念」を引き継ぎ補ってくれることを喜ぶことになると思い、地元と協力して積極的に進めていきたい(了)
posted by 21キンキ at 14:33| 活動報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月26日

◆「淀川神社」との共同事業進み出す

NPO法人近畿フォーラム21主催
蕪村顕彰俳句大学
蕪村生誕300年記念行事委員会



朝日新聞が昨年12月30日の紙面に、NPO法人近畿フォーラム21と「淀川神社」が共同で進めている活動について、「淀川神社:「蕪村故郷で一句いかが・生誕300年へ新年から献句」という記事で、「大阪版」に掲載しました。(「ご報告欄」に既報)

この記事を読んだ読者や、地元の俳句愛好者の人たちが、元旦から「淀川神社」を参拝し出して「絵馬献句」奉納新活動が進み出して、話題が大きく広がりだしました。「淀川神社」を「蕪村神社」として広めましょう!というキャッチフレーズも同様に広がり出したのです。

新年1月も、1か月になろうとしているこれまでに、「淀川神社」には「絵馬に献句しよう」と、地元の人や、俳句講座を受講生、親に連れられて来た児童生徒らによって献句された「絵馬」は100枚余に達しています。

「淀川神社」を「蕪村神社」として広めましょう!との目標を掲げて、蕪村顕彰と蕪村俳句を後世と全国・世界へ広めながら、大阪遺産の未来へ伝承していく活動は、少しづつ進展して行くのに喜びを感じています。

そんな折、1月26日産經新聞の21面に、「蕪村の氏神に俳句奉納」。
〜淀川神社、生誕300年前に:(「俳句絵巻」写真掲載)〜
という記事が掲載されました。下記に掲載します。

<大阪で生まれた江戸時代の俳人、与謝蕪村(1716〜83年)の氏神を祭る淀川神社(大阪市都島区)が、元旦から俳句絵巻の奉納を始めた。

来年の生誕300年前を前に。地元では蕪村を顕彰する機運が高まっており、同神社は今後、蕪村にちなんだ句会も予定している。

 蕪村は摂津国東成郡毛馬村(現在の大阪市都島区毛馬町)で誕生。その後、江戸や京都に移り住み、俳人、画家として活躍した。

生誕地である毛馬村の氏神祭っていた神社は現在はないが、ご神体は合祀などを経て淀川神社に移されたという。

 絵馬は縦24.5a、横6a。表には蕪村の句「菜の花や 月は東に 日は西に」が書かれており、裏面に参拝者が自作の俳句と願い事を記す。

俳句愛好家や家族連れが次々に献句しており、横路良宮司(40)は「蕪村も喜んで下さっていると思う。子供や若者が俳句に親しむきっかけになれば」と話している。>

このように報道機関のご支援も頂き、蕪村顕彰と蕪村俳句を後世と全国・世界へ広めながら、大阪遺産の未来へ伝承していく活動を積極的に進めて行きたいと思っております。

どうか、蕪村生誕300年記念行事をこれから頑張って始めます。皆様のご賛同を心からお待ちしております。
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2015年01月01日

◆蕪村の故郷で一句いかが 

〜都島の淀川神社〜
                             近畿フォーラム21主催
                              蕪村顕彰俳句大学
                              蕪村生誕300年記念行事委員会
                       

明けまして、お目出度う御座います。本年もよろしくお願い致します。

NPO法人近畿フォーラム21と共同で「蕪村顕彰」を進めている、「淀川神社を蕪村神社として広めましょう!」の元旦からの活動記事が、朝日新聞12月30日の大阪版に掲載されました。

同掲載記事をご紹介します。拝読されて、お正月に参拝され、「絵馬」に「献句」されますようお勧めします。


 <江戸時代の俳人・与謝蕪村(1716〜83)が生まれた大阪市都島区毛馬町にある「淀川神社」が、2015年の元日から参拝者が詠んだ俳句の「献句」を始める。「春の海終日(ひねもす)のたりのたり哉(かな)」などの名句を残した地元の偉人について、16年の生誕300年に向けて広く関心を持ってもらおうとの試みだ。
 
蕪村は当時の摂津・毛馬村の有力者の家に生まれ、二十歳にならない頃に村を出て江戸や京都などで過ごした。生い立ちの多くを語らず、村には一度も帰らなかったという。
 一方で、望郷の句は詠んでおり、生誕地を示す淀川河川敷そばの碑には、「春風や堤長うして家遠し」という故郷を思う句が刻まれる。毛馬に帰省する少女を描く晩年の代表作「春風馬堤曲」の中の一句だ。(平井良和)

淀川神社はこの句碑から東南に約600b、蕪村を顕彰する蕪村公園のそばにある。近隣の友渕村に氏神をまつっていた神社の境内を利用し、毛馬村の氏神と合祀する形で1953年に鎮座した。蕪村の家は、氏子だった可能性がある。

宮司の横路良さんは、「地元でも蕪村の故郷だと知らない人が多くなっている。蕪村と俳句に触れる機会を増やしたい」と考え、神社での献句を思い付いたという。

「菜の花や月は東に日は西に」の句と蕪村の自画像が描かれた縦約24a、横約6aの木製の絵巻を500円で販売。

裏面に自作を含む好きな句と願い事を書いて貰い、境内の絵馬掛けに1年間、かける。

横呂さんは「蕪村の句にある土地の今を見て、思いを巡らせながら詠んでほしい」と話す。

献句は、1月1日午前0時からの歳旦への参加者から奉納がはじまる。
問い合わせは、「淀川神社・06・621・5980へ。(平井良和)>
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2014年12月13日

◆お正月に「絵巻」のご奉納を

◆お正月に「絵巻」のご奉納を

蕪村顕彰俳句大学 事務局



 第10期の「句会講座は」、まず12月10日(水)から山尾玉藻講師によって、、兼題「歳晩・自由」を以て開講しました。
 つづいては12月12日 (金)に、大橋晄講師によって、兼題「鴨・時雨・自由」で「句会講座」が開講し、いずれも無事終わりました

 「12月句会講座」の締め括りは、12月15日(月)に石川多歌司講師による、兼題「事始め・冬芽・自由」で開講します。 大いに盛り上がる「句会講座」を期待致しております。

 ところで、開講した各講座は、受講生の互選と講師による選評および寸評が行われ、講師によって選考されて作品の「秀作」には、素晴らしいものが沢山ありました。

 これまで終了した山尾玉藻講座で「秀作」に選ばれた作品について、山尾玉藻講師から下記の「秀作寸評」を頂きましたので、感謝申し上げると共に、掲載させて頂きます。

<秀作寸評 山尾玉藻>

 餅筵はたき夕暮早めけり   山本耀子

 新年を迎えるための餅つきが滞りなく終わり、筵に丸め並べられていた餅も餅箱に収まった。ひと仕事を終えた安堵で餅筵の粉を払いながら、辺りが早や暮色に染まっているのに気付いた作者である。冬至が過ぎたとは言えまだまだ日は短い。筵を払う音が夕暮を早めたとする倒置的擬人法で日暮れの早さを際立てたところがなかなか巧みである。
  
 大寺の屋根昏れてゐし羽子板市   大山文子

 華やかな羽子板で埋め尽くされた仲見世に灯が点り始めると、華やさに煌びやかさが加わった目映いばかりの美しさである。そんな仲見世の通りから何気なく浅草寺に目を遣った作者は、寺の大屋根が既に真っ暗な闇に包まれているのに気付き少し驚いている。羽子板市の華美な賑わいと大寺の寂とした暗がりとが一つとなった世界、江戸の歳晩らしい景がここにある。

 置き薬の封切らぬまま年の暮  松井倫子

 家庭によっては今も富山から薬屋が定期的に来て置き薬を置いていくと聞く。年末、作者の家にもそろそろその薬屋がやって来る頃なのであろう。「封切らぬまま」の措辞に、家族の中に病や怪我をする者がなく、置き薬の世話にもならず、今年も何とか無事に過ごせたという、作者の安堵と感謝の思いが籠められている。>

 以上です。素晴らしい出来栄えですね。
 

ところで、後日詳しくWebでお伝えしますが、毛馬に生誕した蕪村が幼少の頃から、蕪村公園の前に在る「淀川神社」に、「参拝」していたことが分かりました。

 そこで「蕪村顕彰俳句大学」と「淀川神社」が共同し、「蕪村生誕300年記念行事」の一環とし、このほかにも諸行事を行うことを、この12月に合意しました。

 このため、27年の元日から「淀川神社」で、受講生や俳句愛好家が「俳句とお願い」を奉納する「絵巻」を発刊し、境内の「吊り下げ竿」に1年間下げることが決まったのです。

 蕪村が氏子として元日に参拝した「淀川神社」に、今の時代になって、俳句作品を奉納できること自体、画期的なことであり、これも「神様のお導き」だと思わざるを得ません。

 どうか、皆様もお正月の3か日に「淀川神社」ご参拝され、「絵巻」に「自信の俳句とお願いごと」自筆で書き込んでご奉納されますようお勧め致します。

 よろしくお願いいたします。


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2014年10月24日

◆第10期「句会講座」が始まりました

                         蕪村顕彰俳句大学 事務局

10月から始まった蕪村顕彰俳句大学の第10期「句会講座」は、3講座になりました。

・最初には10月10日、大橋晄講師による句会が開講しました。
兼題「新米、秋晴れ」で、受講生が出句された作品を巡り受講生の相互の選句が行われ,つづいて大橋講師による選句と講評が行われました。

・10月20日には 石川多歌司講師による講座が開講しました。
兼題「薄い紅葉、やや寒い」を下に、恒例の受講生同士の選句と、石川講師による選句と選評が行われました。

・10月22日には、山尾玉藻講師による講座が開講しました。
兼題は「秋の鳴く虫一切」でした。受講生の選句のあと、山尾講師が佳作や秀作の選句と寸評を行われました。

山尾講師から「秀作作品の紹介と寸評」を頂きましたので、下記に掲載致します。有り難う御座いました。

<秀作寸評                   山尾玉藻>

   横腹のへこむ桃缶みみず鳴く      山本耀子
 昔は秋の夜に土からジーという音が聞こえるのは蚯蚓が鳴く声であるとした。このことから「蚯蚓鳴く」の季語が生まれたが、螻蛄の鳴き声と混同されたとも考えられる。作者は缶詰の側面に大きな凹みがあるのを見つけ、即座に中に満ちている柔らかな桃の実を思い少し気がかりなのである。即物的に対象を捉えて詠み、ちょっとした心の翳りを浪漫的季語「蚯蚓鳴く」に語らせたところが非常に巧みである。
 
  
   
そのままでそのままでよしすがれ虫   永島文夫
「すがる」とは盛りを過ぎて衰える意であり、そろそろ寿命が尽きるかのように弱弱しく鳴く虫を「すがれ虫」と言いう。恐らく作者がいつも耳を傾けていた庭先の虫の声がいよいよ衰えてきたのだろう。「そのままでそのままでよし」の措辞に作者の小さな命を慈しむ思いがしみじみと滲み出ていて、好感を覚える一句である。 

   
こほろぎの茂みへバイク傾ぎをり   蘭定かず子
 一台のバイクが傾いている方の茂みでおろぎが静かに鳴いている景。もし騒音を立てて来たバイクが今止められたばかりなら、茂みの蟋蟀は驚いて鳴かない筈である。止められて暫く時が経過しているバイクにはエンジンの温もりが残っているのだろう。本来は無機的なバイクにほんのり温か味が感じられ、それが秋の哀れさを誘うおろぎの声との相乗効果で、秋の夜の情趣を一層深める。意外な取り合わせで成功している。


なお、第10期11月講座は、
・大橋晄講師が、11月14日 (金) 、兼題「菊、行く秋」。
 ・石川多歌司講師が、11月17日(月)、兼題「冬めく、浅漬」。
 ・山尾玉藻講師が、11月26日(水)、兼題は「冬だれ、水鳥」。
で、それぞれ開講します。
 大いに盛り上がる「句会講座」になることを期待しています。
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2014年09月28日

◆与謝蕪村顕彰を高めていく

蕪村顕彰俳句大学
毛馬 一三





江戸時代中期の大阪俳人で画家である与謝蕪村は、享保元年(1716年)、摂津国東成郡毛馬村(大阪市都島区毛馬町)に生まれている。生誕地が大阪毛馬村と余り周知されていない事実のことは本誌で既に触れている。

しかし、蕪村が俳人として大阪の中心部を活躍の舞台にしていたことには触れていない。
むしろそれに気づかなかったのが本当のところだ。それはこれから追々。

蕪村は、17歳〜20歳頃、生誕地毛馬を飛び出し、江戸に下っている。なぜ江戸に下ったのか。これすら未だはっきりしない。しかも蕪村は出奔以来、極度な郷愁は感じながらも、実際は生誕地「毛馬」に一歩も足を踏み入れていない。なぜだろう。

おそらく、京都丹後与謝から毛馬村の商屋の奉公人として来た母親が、庄屋と結ばれて蕪村を産んだものの、若くして死去したため、蕪村が庄屋の跡継ぎにも成れず、周囲からも過酷ないじめに遭わされたことなどから、意を決して毛馬村を飛び出したのではないか。

しかも蕪村が飛び出した先が、江戸の日本橋石町「時の鐘」辺に住む俳人早野巴人だ。だが、どうしてこんな超有名な俳人に師事しに訪ね、俳諧を学ぶことができたのか、田舎の毛馬村と江戸との結びつきや、師匠との今謂うコネがどうして出来たのか、これもミステリーだらけだ。この時蕪村は、師の寓居に住まわせて貰い、宰鳥と号している。

<寛保2年(1742年)27歳の時、巴人師が没したあと江戸から脱し、下総国結城(茨城県結城市)の砂岡雁宕(いさおか がんとう)のもとに寄寓し、松尾芭蕉に憧れてその足跡を辿り東北地方を周遊した。

その際の手記を寛保4年(1744年)に編集した『歳旦帳(宇都宮歳旦帳)』で、初めて「蕪村」と号したのである。

その後丹後、讃岐などを歴遊し、42歳の頃京都に居を構えた。 45歳頃に結婚し、一人娘くのを儲けた。島原(嶋原)角屋で句を教えるなど、以後、京都で生涯を過ごした。明和7年(1770年)には、夜半亭二世に推戴されている。

京都市下京区仏光寺通烏丸西入ルの居宅で、天明3年12月25日(1784年1月17日)未明68歳の生涯を閉じた。>出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

さて、蕪村は定住していた京都から船で淀川を下り、頻繁に大阪に吟行のためやって来ていたことが、最近分かってきた。

船から陸地に上がったのは、生誕地毛馬村から2キロほご離れた西側の淀屋橋や源八橋からだ。ここには「検問所」があったためで、ここから大阪市内にある数多くの門人らを訪
ねて回っている。源八橋付近は「梅」の木の囲まれていたという。

蕪村は、俳人西山宗因のお墓(大阪市北区兎我野町 西福寺)を訪ね、大阪の蕪村の門下人の武村沙月、吉分大魯(よしわけ・たいろ)のほか、西山宗因の門下の上島 鬼貫(伊丹の人)の処を回っている。つまり大阪市内の各地を回っている。   

特に、吉分大魯は、阿波の出身で、安永2年 (1773)から6年まで、大阪「蘆陰舎」に滞在(安永7年、兵庫で没)しており、この「蘆陰舎」に蕪村は足繁く立ち寄っている。逆に大魯をつれて、淀川を船で上り、京都の蕪村門下を代表する高井几董に会わせるなど、京都―大阪往復行脚は活発だったようだ。(大阪市立大学文学部)

早い話、蕪村にとり大阪も活躍の場だった訳だ。これもあまり知られていない。

こんな折、驚くご縁と嬉しい話が飛び込んできた。

蕪村生誕地近郊に大阪市が5年前造営した「蕪村公園」の横に、「淀川神社」がある。しかも、大川(旧淀川)の前にある神社はここだけだ。私自身も拝礼しに行く神社はここだ。

ところが、地元の町内会長のご紹介で、「淀川神社の宮司」と会うことが出来た。宮司とは初めての対面だったが、宮司の実に素晴らしいご意向を聴かされた。

2年後の「蕪村生誕300年祭」行事を神社でも行いたいし、神社でも「俳句会」を行いたい。蕪村顕彰を後世の為に諸活動を進めて行きたい、などの強いご意向だった。

「蕪村顕彰」事業を既にすすめているNPO法人近畿フォーラム21で、私が活動していることを町内会長から聴かされたので、いち早く会いたかったと告げられた。このご縁とは、実に素晴らしいものだった。

しかも「蕪村顕彰」を後世継承したい私の考えと全く一致し、地元の神社が蕪村顕彰の発信地となり、これから神社で「蕪村顕彰」祝事をして頂くとは、まさに“快挙”と言えよう。

しかも、蕪村が大阪に吟行に来ながら、一度も実家に寄らなかったわけがあっただけに、この時代になって旧実家の近くにある、ここ「淀川神社」で蕪村の望郷の念を繋いでやることは、蕪村も大いに喜ぶだろう。

宮司の話に感動し、近く再会して活動の進め方を話あうことになった。後世のために蕪村を顕彰し、俳句文化振興活動をしようという当NPO法人の試みは、立ち上げてから4年が経って画期的な話が舞い込んできたことになる。

大阪を行脚して回り俳人としての名を高めた与謝蕪村を、この地元「淀川神社」から全国、初外国に広めて行こう。

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2014年09月15日

◆九期「蕪村顕彰俳句全国大会」 開催迫る

蕪村顕彰俳句大学 主催
兜カ學の森    共同


NPO近畿フォーラム21の「蕪村顕彰俳句大学」が主催、兜カ學の森が共同して開催する第九期「蕪村顕彰俳句全国大会表彰式」が、9月21日(日)午後1時に迫りました。

会場は、蕪村生誕地近くの大阪市都島区毛馬町の大阪市立淀川小学校です。

蕪村顕彰俳句大学が兜カ學の森と共同して開催する今期の「蕪村顕彰俳句全国大会」は、七期につづく2回目の全国俳句大会の行事で、「全国の俳句愛好家と蕪村顕彰俳句大学の句会講座」の受講生から応募された俳句作品を、8名の選考者に選考して頂いた優秀句を表彰するものです。

上記「一般の部」の優秀句には「大阪府知事賞、大阪市長賞、関西・大阪21世紀協会理事長賞、蕪村顕彰俳句大学学長賞、文學の森賞」の賞状を授与します。また入賞者20名に対しても、賞状を授与します。

同時に大阪市内の公私立小中高を対象にした「児童生徒の部」では、選考されて優秀句に「大阪府知事賞、大阪市教育委員会委員長賞、蕪村顕彰俳句大学学長賞」の3賞と「佳作賞」を授与します。

更に諸外国からの作品応募の中から選考された優秀句に「国際蕪村俳句賞」として、「大阪府知事賞、国際交流基金理事長賞」に賞状を授与致します。

ところで、今回の「蕪村顕彰俳句全国大会」での注目は、勿論上記の受賞式ではありますが、式典次第のメインイベントとして「選考者」代表3名の方々に、
「優秀句選考の寸評」をして頂くことです。

蕪村顕彰俳句大学の選考委員長を兼務して頂いております三村純也大阪芸術大学教授に司会を依頼し、現代俳句協会名誉顧問の宇田喜代子様と日本伝統俳句協会関西支部長の千原叡子様との間で、「今期の選考逸話や優秀句の評価」などをお知らせ頂き、如何に今期の全国大会が意義あるものだったかを「寸評」に交えながら合議して貰おうと期待しております。

そして最後のイベントは、三村純也選考委員長に「児童生徒の部」と「国際俳句蕪村賞」の受賞者句の「寸評」をお願いして居ります。

締め括りは、蕪村顕彰俳句大学の「句会講座」をご担当して頂いた朝妻力、大橋晄、石川多歌司、山尾玉藻の各講師の「講師推薦賞」の受賞式を行い、(山尾講師は主宰句会の総部会のため、欠席)3名の講師に「講師推薦賞」を受賞される受講生の受賞句「寸評」をして頂き、賞状を授与致します。

式典はこれで終了させて頂き、つづいて近郊の「蕪村公園」で「優秀句記念プレート碑」の除幕式の儀式を行います。「優秀句記念プレート碑」は、今九期で、九基が並ぶことになりますが、ここでは式典と「記念撮影」などが盛大に行われます。

どうか9月21日(日)午後1時からの第九期「蕪村顕彰俳句全国大会表彰式」と近郊の「蕪村公園」での「優秀句記念プレート碑」除幕式に、是非ご参加頂きますようお願い致します。
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2014年07月24日

◆淀川の河底にある「与謝蕪村の生家」

           
蕪村顕彰俳句大学
            蕪村生誕300年記念事業実行委員会


江戸時代の俳人与謝蕪村の生家は、淀川の河底に埋没しているのは間違いないのですが、一体河底の何処に埋没させられて仕舞ったのでしょうか。詳しい場所は未だ不明です。

確かに、大阪毛馬の淀川堤防に「蕪村生誕地」と書いた「記念碑」が建立されてはいます。しかし「蕪村生誕し幼少を過ごした生家」は、この場所ではないことははっきりしています。

実は「蕪村の生家」が、冒頭に記したように、淀川堤防から眼下に見える「淀川の川底」に在るのは事実です。なぜ淀川の川底に埋没されたのでしょうか。これは追々。

徳川時代の淀川は、よく手入れが行われていましたが、明治維新後は中々施されていなかったのです。ところが、明治18年に淀川上流の枚方で大水害が起き、下流の大阪で大被害を受けたことをきっかけに、明治政府がやっと淀川の本格的改修に乗り出しました。

その際明治政府は、単なる災害防止ためだけではなく、大阪湾から大型蒸気船を京都伏見まで通わるせる航行で「経済効果」などの多目的工事に専念することを決めました。

そのために淀川の河川周辺の陸地を大幅に埋め立て、それまでの小さな淀川を 大きな河川にする大改修を立案したのです。

これに伴い、旧淀川沿いにあった「蕪村生家」地域は埋め立ての対象となり、すべて「河川改修工事」によって川底に埋められて仕舞いました。

さて、明治政府は関西の大型河川・淀川を大改修するため、オランダから招いた河川設計者・デ・レーケとフランス留学から帰国していた設計士沖野忠雄とを引き合わせ、「淀川大改修」の設計を依頼しました。

明治政府の依頼を受けた2人は、「大改修工事」の設計を創り上げ、明治29年から工事を開始しました。

とにかくこの大型改修設計は、大阪湾に京都の宇治川や桂川、奈良からの木津川を中津川に合流させ、一気に淀川として大阪湾に繫ぐ、巨大な設計でした。

そうすれば貨物蒸気船を大阪湾と京都を結んで航行させることが出来、逆に京都・枚方などで大水害が起きた場合でも大量の水量をさらりと、大阪湾に流すことが出来るのです。二本立ての「効果狙いの設計」でした。

勿論、上流の災害で流出してくる「土砂」が、大阪に被害を与えないため「毛馬閘門」設計も創りました。

これが淀川から大阪市内に分岐させる「毛馬閘門」の設計主旨だったのです。この「毛馬閘門」からは、淀川本流から分岐して大阪市内へ流れる河川を設計しました。その河川の名を「大川」と名付けたのです。

この「大川への分岐設計」で、上流の水害に伴う土砂流失の回避は実現し、大阪の上流からの防災は、今日まで護られているのです。

このように2人による設計書は、世界の河川工事技術水準に準じたもので、明治政府が施工した「河川大改修工事」としては全国的に見ても画期的なものでした。

同工事は、明治29年から明治43年まで行われ、設計通り完成しました。

ここから本題。この「河川大改修工事」によって、与謝蕪村が生まれ、幼少を過ごした大阪市都島区毛馬町(摂津国東成郡毛馬村)は、跡形もなく淀川に埋没させられ、深い川底に沈んで仕舞いました。

明治政府の強制でしたから、当時の住民は仕方なくそれに従ったようですが、川幅も660b(従来の30数倍)となり、浅かった河の深さも5bの巨大河川に変容したのです。

この住居埋没の強制工事で、前述の如く、蕪村の生家(庄屋?)は勿論、お寺、菜の花畑、毛馬胡瓜畑跡などの、当時の地域の様子は皆目全くわかりません。今は淀川の毛馬閘門近郊にある蕪村記念碑から、淀川の眼下に見える川底が「蕪村が幼少を過ごした生家地域」だと想起出来るだけで、寂しい限りです。

淀川近郊の蕪村家(庄屋?)の後継者の方といわれる毛馬町の家を訪ね、「家歴」を伺いました。しかし、「地図も無いし、お寺も埋没して「過去帳」もないために、蕪村生誕地が淀川の河底にありことは間違いないですが、今でもどのあたりの河底にあるのか分かないのです。」という答えが返って来ただけでした。

「蕪村生誕300年記念」を、2016年に迎えます。どうか大阪毛馬町の「蕪村公園」と通り過ぎて、「毛馬閘門」と「蕪村記念碑」ある淀川堤防の上から眼下に流れる「淀川」を見ながら、その河底に蕪村生誕地があることを想いつつ、蕪村が幼少期をここで過ごしたのかと、ゆったりと瞑想して欲しいですね。

取材先:国交省近畿地方整備局淀川河川事務所
posted by 21キンキ at 18:27| 活動報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月31日

第9期5月「句会講座」終わる

蕪村顕彰俳句大学 事務局


第9期5月後半の2「句会講座」が終わりました。いよいよ6月講座に迎えます。

後半の初めの「句会講座」は、石川多歌司講師によって、5月19日に開講しました。

同講座は、まず「蕪村の生き方」について、石川多歌司講師の講演が行われました。

この中で、「蕪村俳句の評価について正岡子規と萩原朔太郎とは異なり、特に朔太郎は蕪村が詩人として彩られ、寂しさといら立ちの人生に立った俳人だと評価しているのが、注目される」と語られました。

このあと、句会の場で受講生が作品を投句し、お互いに選句し合う恒例の行事が行われました。

この受講生の全作品について、石川多歌司講師が1句づつ選評しながら、丁寧な手直しがおこなわれました。

5月後半を締め括る「句会講座」は、5月28日の山尾玉藻講師によって開講しました。この日は、初夏の晴天に恵まれ、強い陽射しと、緑に装われた石垣の上に立つ大阪城天守閣の全貌が教室から眺められ、軽やかな雰囲気の中で講座は進められました。

「山尾句会」は、受講生が事前に出句した作品が開講時に配られ、各受講生がお互いに選句する行事から始まりました。このあと、山尾講師が全作品の中から、「入選・佳作・秀作」の順番に発表され、1句づつ「選評」が行われました。

山尾講師の「選評」で興味深いのは、俳句作意の意味が分かりにくい作品を巡り、受講生への直か問い掛けのやり取りが行われることで、その結果双方が納得出来る「優れた手直し作品」が出来上がることです。

また、受講生から山尾講師への質問も目立ち、今回「状況説明に終始する句は、良くない」と述べられた講師へ、「俳句は説明に陥り易いが、どうしたらいいでしょう」との質問が注目を集めました。

これに対して山尾講師は、「俳句は重要な感動のポイントを綴ることが必要なことで、成り行きや状況などをただ説明するのでは、俳句にはなりませんね」と述べられ、納得の頷きが広がりました。

ここで山尾講師から今回の秀作寸評を頂きましたので、掲載させて頂きます。                  

<秀作寸評            山尾玉藻>

岬馬の尻張つてゐる青嵐     山本耀子
 岬馬とは宮崎県都井岬に人為的な手を殆ど加えられずに生息する野生馬のこと。大自然に育まれた岬馬は強靭な体躯をしており、殊に後躯がとても立派である。「尻張つてゐる」の張りのある表現がそんな岬馬特有の姿を見事に捉えていて、岬の万緑を揺るがすほどの青嵐の中にあっても揺るぎのない存在として伝わってくる。
  
   老鶯に金色深む神輿二基      大山文子
 鶯は夏になると山地に移り木の茂み笹叢で営巣する。雄は盛んに囀り、それを老鶯と呼び、その声は勢いがあって非常に美しい。神輿蔵で神輿を仰いでいた作者の耳にも、山中で盛んに囀る老鶯の声が届いている。その声を聞き止めている内に、神輿に装飾された金色に落ち着いた深みが生まれ始めたように感じた作者。老鶯の鳴き声は金色をも鎮める張りのある美しいものであったのだろう。

   薫風の裏道ゆきぬ奈良ホテル    松井倫子
 奈良ホテルは明治42年創業の老舗ホテル。本館は現在も創業当時の木造二階建て瓦葺屋根の重厚な姿をとどめている。作者は広やかな大路を逸れた裏道を辿っていたのだろう。暫く吹き抜ける薫風を楽しんでいた作者の前に、思いがけなく奈良ホテルがその姿を現した。万緑の中で古色ゆかしい奈良ホテルはより一層落ち着きある佇まいを見せ、作者のこころを捉えたことだろう。
                            以上

冒頭に記述しましたように、いよいよ6月句会講座が始まります。
・ 6月11日(水)    山尾玉藻講師担当
・ 6月16日(月)    石川多歌司講師担当
・ 6月23日(月)    朝妻力講師担当
・ 6月27日(金)    大橋晄講師担当

受講生の皆様、9期「蕪村顕彰全国俳句大会」が迫って来ました。全国大会に沢山の作品を「応募」して頂きますよう、お願い致します。「応募の締め切り」は、7月31日です。頑張りましょう。

posted by 21キンキ at 05:43| 活動報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月15日

◆5月「句会講座」が始まる

蕪村顕彰俳句大学 事務局


兜カ學の森と共催する「蕪村顕彰全国俳句大会」の九期5月講座が始まりました。

 5月最初は、同月9日(金)に大橋晄講師による「句会講座」が開かれました。まず「行春」「山吹」を兼題に受講生から出句された俳句作品について、受講生がお互いに3句づつ選んで発表しました。

 このあと、大橋講師が「佳作」「入選」「特選」に選句された作品について、「選評」を行われました。特に口語体、文語体の使い方や助詞を中心の活用形について、受講生の出句意図などを聴きながら、感想と修正を行われたのが注目されました。

2回目の「句会講座」は、5月12日(月)に朝妻力講師によって行われました。

まず、朝妻講師は「なぜ文法か」の講演から始められました。
この中で、「俳句をなぜ文語体でつくるのか」について、
  1)口語体では表現できない「詩情」が表現できる
  2)季語のほとんどが文語体である
  3切れ(かな、けり、や、なり)はすべて文語体
  4)句形(5、7、5)は、文語体のほうが適切
と述べられ、受講生の傾聴を集めました。

このあと「氷室」「黒南風」」自由題」の兼題で出句された受講生作品を巡り、恒例の受講生が選句作品を発表し、これを受けて朝妻講師が作品1句づつ「選評」を行われました。

次回3回目の「句会講座は」、5月19日(月)に石川多歌司講師、5月「句会講座」の
最後は、5月28日(水)の山尾玉藻講師の開講で締め括ります。

「蕪村顕彰全国俳句大会」の表彰式に向けて、全国の俳句愛好者よりも優れた俳句作品を応募したいとする気概とムードが段々と昂揚して来ています。「4句会講座」の受講生の皆様に大いに期待が寄せられます。楽しみです。

posted by 21キンキ at 11:34| 活動報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月30日

◆第9期4月「句会講座」終わる

NPO法人近畿フォーラム21主催
蕪村顕彰俳句大学
 

第9期「蕪村顕彰俳句大学」の句会講座は4月から始まり、これまでに大橋晄講師と朝妻力講師による4月前半の講座は終わりました。
 
 これに続いて4月後半の山尾玉藻講師による講座が4月23日に行われ、4月28日には新規の石川多歌司講師による講座が開講しました。第9期からは、1つ増えて、4「句会講座」になったのです。
 
山尾玉藻講師による講座は、受講生が出句した78句の作品を受講生がお互いに3句づつ選句しました。このあと山尾講師が「入選・佳作・秀作」を公表され、受講生出句の78句総て「選評」され、出句者の作意を聴くなどもされながら句の手直しを丁寧に行われました。
 
 山尾講師が「選句・選評」された中から、「秀作」の作品と選評を頂きましたので、下記に掲載します。
 
  <秀作寸評                  山尾玉藻>

    一管の高まりて終ふ堂朧     山本耀子
 「堂」とあるので能楽堂であろうか、それとも神楽堂であろうか。「一管」とは能笛であろうか、それとも 笙篳篥であろうか。いずれにしても笛が高音となり非常に強い調子となった所で舞台の舞が終ったのであろ う。作者のこころの昂りが思われ、辺りの朧がその昂りを包みこむように鎮めていくのも窺い知れる。無駄 な表現がないだけに大きな膨らみをである。
  
   朧夜の玄関にある女下駄       奥田順子
  最近は下駄を履いた女性に殆どお目にかかれないが、この下駄の主はどんな女性なのだろうか。朧夜を  戻ってきた作者もどうやら見知った下駄ではなく、この下駄の訪問に少し戸惑っている様子である。季語  「朧」のぼんやり感が、恐らくは赤い鼻緒であろう下駄を一層ミステリアスな存在としている。

   奥山の鬼が寝につく鐘朧     蘭定かず子
  伝説で奥山には鬼が棲んでいたとされるのだろう。鐘の音が朧を伝って聞こえる頃、作者は山を眺めなが らそろそろ鬼も眠る頃だろうと思っているのだ。この山は酒呑童子が棲んだとされる大江山か伊吹山か。い ずれの山も雄大であるだけに、イマジネーション豊かな一句となっている。

 このあと、4月28日に「天地」俳句集団主宰の石川多歌司講師による新規「石川句会講座」が前記の通り開講しました。
 
 講座は、石川講師が9期から新規開講した講座についてご挨拶をされた後、受講生がその場で出句した145句を、それぞれ5句づつ選句し、発表し合いました。
 
 続いて、石川講師が講師による、受講生作品の「選句と選評」を行われました。
このあと、石川講師が5回に分けて行う「蕪村講座」の初回講演が行われました。その中で非常に関心が集まったのは、

<「この蕪村顕彰俳句大学」の講座を担当するようになって、私が感じたことがある。俳句の歴史を支える「ホトトギス」の俳句を出句する者にとって、「蕪村俳句」を熟知しないと、ホトトギス俳人にはなれないということである。>と語られたことでした。

 その上で、<「蕪村俳句」をこの世に評価出現させた正岡子規、高浜虚子、萩原朔太郎の「蕪村俳句」に対する数々の所感や見解>を紹介されました。

これで「全国蕪村顕彰俳句大会」9期4月の4講座が終わりました。

さて、5月の句会講座は、
・5月9日:大橋晄講師、
・5月12日:朝妻力講師、
・5月19日:石川多歌司講師、
・5月28日:山尾玉緒講師
  によって開講致します。

9月の「全国蕪村顕彰俳句大会」表彰式にむけて優秀句を、全国からの応募者と対抗して出句されるよう、今から心の中でご準備をお願い致します。
posted by 21キンキ at 14:31| 活動報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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