2015年10月13日

◆大阪吟行の蕪村 生誕地には帰らず

毛馬 一三



江戸時代中期の大阪俳人で画家である与謝蕪村は、享保元年(1716年)、摂津国東成郡毛馬村(大阪市都島区毛馬町)に生まれている。生誕地が大阪毛馬村と余り周知されていない事実のことは本誌で既に触れている。

しかし、蕪村が俳人として大阪の中心部を活躍の舞台にしていたことには触れていない。むしろそれに気づかなかったのが本当のところだ。それはこれから追々。

蕪村は、17歳〜20歳頃、生誕地毛馬を飛び出て江戸に下った。なぜ江戸に下ったのか。これすら未だはっきりしない。しかも蕪村は出奔以来、極度な郷愁は感じながらも、実際は生誕地「毛馬村」に一歩も足を踏み入れていない。なぜだろう。

京都丹後与謝から毛馬村の商屋の奉公人として来た母親が、庄屋と結ばれて蕪村を産んだ。母親は若くして死去したため、蕪村が庄屋の跡継ぎを委ねられたものの、正当嫡子でないために庄屋経営責任をも果たせず、周囲や同業からの過酷ないじめに遭わされたこともあって、意を決し毛馬村を飛び出したようだ。

しかも蕪村が飛び出した先が、江戸の日本橋石町「時の鐘」辺に住む俳人早野巴人だ。だが、どうしてこんな超有名な俳人に師事し俳諧を学ぶことができたのか、田舎の毛馬村と江戸との結びつきや、師匠との今謂うコネがどうして出来たのか、ミステリーだらけだ。

この時蕪村は、師の寓居に住まわせて貰い、宰鳥と号している。

<寛保2年(1742年)27歳の時、師が没したあと、下総国結城(茨城県結城市)の砂岡雁宕(いさおか がんとう)のもとに寄寓し、松尾芭蕉に憧れてその足跡を辿り東北地方を周遊した。その際の手記を寛保4年(1744年)に編集した『歳旦帳(宇都宮歳旦帳)』で、初めて「蕪村」と号したのである。

その後丹後、讃岐などを歴遊し、42歳の頃京都に居を構えた。 45歳頃に結婚し、一人娘くのを儲けた。島原(嶋原)角屋で句を教えるなど、以後、京都で生涯を過ごした。明和7年(1770年)には、夜半亭二世に推戴されている。

京都市下京区仏光寺通烏丸西入ルの居宅で、天明3年12月25日(1784年1月17日)未明、68歳の生涯を閉じた。>出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

蕪村は、定住していた京都から船で淀川を下り、頻繁に吟行に大阪にやって来ていたことが、最近分かってきた。

船から陸地に上がったのは、生誕地毛馬村とは全く正反対西側の「淀屋橋か源八橋」からで、ここから大阪市内にある数多くの門人らを訪ねて回っている。

蕪村は、俳人西山宗因のお墓(大阪市北区兎我野町 西福寺)を訪ね、大阪の蕪村の門下人の武村沙月、吉分大魯(よしわけ・たいろ)のほか、西山宗因の門下の上島 鬼貫(伊丹の人)の処を回っている。大阪市内の各地を重点的に回っていたことになる   

特に、吉分大魯は、阿波の出身で、安永2年 (1773)から6年まで大阪「蘆陰舎」に滞在(安永7年、兵庫で没)しており、この「蘆陰舎」に蕪村は足繁く立ち寄っている。逆に大魯をつれて、淀川を船で上り、京都の蕪村門下を代表する高井几董に会わせるなど、京都―大阪往復行脚は活発だったようだ。(大阪市立大学文学部)

早い話、蕪村にとり「大阪」が活躍の舞台だった訳だ。これもあまり知られていない。

これを証ように、今の大阪市北区梅田茶屋町の商店街の広場に「菜の花や月は東に日は西に」の蕪村句を刻んだ高さ1m、幅50cmの碑があり、顕彰されている。

ここでは地域の有志が「菜の花」を植え、「菜の花の散歩道」という「まち起こしイベント」を催している。つまりこの辺りは、蕪村が毛馬橋から上がって、散策したところだ。

ところが、蕪村は正に近郊に存在する蕪村生誕地の「毛馬」に、前述の様に一歩も足を踏み入れていない。父母に対する「望郷」の念は強くあっても、幼少の苦節だけがそうさせたのだ。

さて、後世のために大阪俳人蕪村を顕彰し、蕪村俳句文化振興をしようという筆者主宰のNPO法人近畿フォーラム主催「講座蕪村顕彰俳句大學」(学長 川原俊明弁護士)開講は、立ち上げてから、もう6年が経っ。

応募の優秀句には「知事、市長、教育委員会委員長、学長賞」、海外から応募の優秀句には「国際交流基金理事長賞」等の各賞を授与する「表彰式」を毎年2回行い、蕪村生誕地近郊の大阪市造営の「蕪村公園」に、「表彰式」のあと「優秀句記念プレート碑」を建立している。

この4月からは、第11期講座を始め、来年の蕪村生誕300年記念を控えて、9月には兜カ學の森と共同して「蕪村顕彰全国俳句大会表彰式」を行った。文學の森刊「俳句界」を通じて、俳句作品のご応募を読者の方にお願いした。

そんな折、驚くべきことが分かった。

大阪俳人としての名を高めた与謝蕪村が、生誕地毛馬村で幼少の頃、父母と一緒に「氏子」として参詣を続けていた氏神神社が今、大阪市毛馬町にある「淀川神社」であることが分かったのである。

これにより、昨年の暮、当NPO法人近畿フォーラム21と、「淀川神社」が共同して蕪村俳句顕彰し、蕪村参詣経験の「淀川神社」の名を広める等の諸活動を行うことになった。

その手始めに今年から「淀川神社」で、俳句愛好者が自作の俳句を「蕪村絵巻」に俳句自作を書き込み、境内に吊るす祭事を始め、マスコミも取り上げられた。

これからは、この活動が「望郷の念」の強かった蕪村が、来年28年の「蕪村生誕300年記念年」を控えて、現代の人たちが蕪村の「望郷の念」を引き継ぎ補ってくれることを喜ぶことになると思う。だから地元と協力して積極的蕪村顕彰を進めていきたい(了)

posted by 21キンキ at 13:13| チョット教えて! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月26日

蕪村生誕地はいま淀川の河底

NPO近畿フォーラム21
      毛馬 一三



江戸時代の俳人与謝蕪村生家は、一体何処に在ったのか。これは正確には知られておりません。

確かに、大阪毛馬の淀川堤防の上に「蕪村生誕地」と書いた「記念碑」が建立されてはいます。しかし「蕪村生誕し幼少を過ごした生家」は、ここではないのです。

実は「蕪村生家」は、この堤防から眼下に見える「淀川の川底」に在ったのです。なぜ淀川の川底にあったのか、これには実は明治政府の「淀川河川改修工事」に係っています。

徳川時代の淀川は、よく手入れが行われていましたが、明治維新後は中々施されていなかったのです。ところが、明治18年に淀川上流の枚方で大水害が起き、下流の大阪で大被害を受けたことをきっかけに、明治政府がやっと本格的淀川改修に乗り出しました。

その際明治政府は、改修工事に当り単なる災害防止ためだけではなく、大阪湾から大型蒸気船を京都伏見まで通わ航行による「経済効果」などの多目的工事に専念することを決めました。そのために淀川の河川周辺の陸地を埋め立て、それまでの小さな淀川を 大きな河川にする大改修を立案したのです。

これに伴い、旧淀川沿いにあった「蕪村生家」地域は、埋め立ての対象となり、すべて「河川改修工事」によって川底に埋められて仕舞いました。これについては追々。

さて、明治政府は関西の大型河川・淀川を大改修するため、オランダから招いた河川設計者・デ・レーケとフランス留学から帰国していた設計士沖野忠雄とを合わせ、「淀川大改修」の設計を依頼しました。(→リンク先の写真参照)。

明治政府の依頼を受けた2人は、「大改修工事」の設計を創り上げ、明治29年から工事を開始しました。

とにかくこの大型改修設計は、大阪湾に京都の宇治川や桂川、奈良からの木津川を中津川に合流させ、一気に淀川として大阪湾に繫ぐ、巨大な設計でした。そうすれば貨物蒸気船を大阪湾と京都を結んで航行させることが出来、逆に京都・枚方などで大水害が起きた場合でも大量の水量をさらりと、大阪湾に流すことが出来るのです。二本立ての「効果狙い設計」です。

勿論、上流の災害で流出してくる「土砂」が、大阪に被害を与えないような「毛馬閘門」設計も創りました。

これが淀川から大阪市内に分岐させる「毛馬閘門」の設計主旨だったのです。ここから分岐した河川は「大川」と名付けられ、「水害に伴う上流からの土砂」の回避は実現し、大阪の上流からの水害から今日まで護られているのです。

このように2人による設計書は、世界の河川工事技術水準に準じたもので、明治政府が施工した「河川大改修工事」としては全国的に見ても画期的なものでした。同工事は、明治43年に完成したのです。

ここから本題。この「河川大改修工事」によって、与謝蕪村が生まれ、幼少を過ごした大阪市都島区毛馬町(摂津国東成郡毛馬村)は、跡形もなく淀川に埋没し、深い川底に沈んで仕舞いました。

役所の指示でしたから、当時の住民は仕方なくそれに従ったようですが、川幅も660b(従来の10数倍)となり、浅かった河の深さも5bの巨大河川に変容したのです。

この住居埋没の強制工事で、前述の如く、蕪村生家(庄屋?)は勿論、お寺、菜の花畑、毛馬胡瓜畑跡などの位置も皆目全くわかりません。今は淀川の毛馬閘門近郊にある蕪村記念碑から、淀川の眼下に見える川底を想起すだけで、寂しい限りです。

淀川近郊の蕪村生誕家(庄屋?)の後継者の方といわれる家を訪ね、「家歴」を伺いましたが、結局、「お寺も埋没し「過去帳」もないために、蕪村生誕地は「川底」にあると信じているだけ」という答えが返って来ただけでした。

「蕪村生誕300年記念」は、2016年に迎えます。どうか大阪毛馬町の「蕪村公園」と通り過ぎて、「毛馬閘門」と「蕪村記念碑」ある淀川堤防から下に流れる「淀川」を見ながら、その河底に蕪村生誕地があることを想いつつ、蕪村が幼少期をここで過ごしたのかと、眺めて頂きたく存じます。

posted by 21キンキ at 19:20| チョット教えて! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月29日

◆「国際俳句交流」活動に成果

 〜ガリーナさんと野澤さんが同時受賞〜

今年の3月のNPO法人近畿フォーラム21主催「蕪村顕彰俳句大学」の表彰式で、普段から「俳句交流」を続けておられた神戸市の野澤あきさんと、ウクライナのシェフツォバ・ガリーナさんが、同時に「優れた俳句」として受賞されました。

その2人が「お互いにお祝い」するメールとお手紙が交換されましたので、下記に掲載致します。

「国際俳句交流」活動が、これから益々盛んになっていくことを祈念致します。


◆ウクライナ・ガリーナさんの便り

野澤さん!今回「蕪村顕彰俳句大学・入賞句表彰式・一般の部」で、「大阪府知事賞」を受賞され、お目出度う御座います。心からお喜び申し上げます。

私も、同表彰式で「国際交流蕪村賞・大阪市長賞」を受賞致しました。2人で同時受賞出来たことは、本当に驚きですし、これに優る幸せはありません。

野澤さんからお手紙で、「俳句の作り方」を学んだ成果だと、心から感謝しております。

私の受賞作品は、「氷柱嘗め子供のころの懐かしさ」でした。

そこで、この俳句作品を作った時の想いなどをお伝えしたいと存じます。

作句の時、子供の頃を心の底から思い出しましまた。私は幼稚園のとき、冬になると、氷柱はお菓子のように感じがしたので、友達とヴェランダの後ろに隠れて、美味しく嘗めました。先生から見つかると、いつも叱られました。お婆ちゃんにも叱られたのです。

今、それを思い出すと、懐かしい感情が込み上げて来るのです。

でも、それだけだはありません。氷柱というものは、とても綺麗なものです。白氷の氷柱は、ガラスのクリスマスの飾りに似ています。その上、藁葺きの屋根からの氷柱は、まっきき(とても黄色く)なる場合もあるのです。

それのことからも、何年か前に訪日し、東北の熊野神社長床という神社に行った時、素晴らしい「氷柱」を見たことを想いだします。

気になるのは、日本の子供たちは、氷柱を嘗めるという「くせ」とか「楽しみ」はあるのでしょうか。

こんな気持ちを抱きながら、今度の作品を作りました。野澤さん、今後もご指導をよろしくお願いいたします。

とり急ぎ、「2人の同時受賞の喜び」を!
           ウクライナ・キエフ国立大学助教授 
シェフツォバ・ガリーナ

◆ガリーナさんへ
               野澤あきさんの便り

桜もすっかり葉桜になりました。

この度は、「国際俳句蕪村賞」で「大阪市長賞」を受賞され、本当にお目出度う御座います。
作句「氷柱嘗め子供のころの懐かしさ」の想いを伺いましたが、良く子供の頃の心が理解出来ていますね。

私も「一般の部」で「大阪府知事賞」を頂いたことは、本当に嬉しゆう御座います。長い歳月、俳句作りに携わってきた人生晩年のご褒美と思い、感謝の極みです。

以前、ガリーナさんとお友達のロシアの方と大阪の「万博公園」に「蛍」を見に行きましたね。その時、ガリーナさんは、ウクライナには「蛍」は居ないと、「蛍」の姿に感動されていたことを、今でも思い出します。
そのような感動を活かして俳句を作られるようになってください。それにしても随分上達されことを嬉しく思っております。

日本(大阪)とウクライナとは、「季節感」も少しは違うでしょうが、どうかお互いにいろいろ研磨し合って「俳句つくり」を頑張りましょう。

今年の夏休みに来日されお逢い出来ますことを楽しみにしております。

「葉桜や終の棲家にすこし慣れ」   あき

これまで私の住居の大阪の南千里には、ガリーナさんもお訪ねになったことがありますが、つい先日、その南千里から神戸市垂水へ転居致しました。垂水にも少しずつ慣れてきました。
上記の句は、その心境を綴ったものです。ご拝読を。

今度は垂水でお待ちします。俳句を巡るお話合いを、じっくりしましょうね。
「同時受賞」を一緒にお祝いしましょう。
                      野澤 あき
                   

posted by 21キンキ at 15:50| チョット教えて! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月25日

◆第6期講座「蕪村顕彰俳句大学の表彰式」

NPO近畿フォーラム21主催

                       蕪村顕彰俳句大学
                       蕪村生誕300年記念事業委員会 

「蕪村顕彰俳句大学第6期講座」の「表彰式」が、3月24日午前10時から大阪市都島区毛馬町の大阪市立淀川小学校で開催致しました。

「表彰式」には、ご来賓をはじめ、第6期講座「一般の部」と「児童生徒の部」の受講生と応募者、それに一般俳句愛好家の方など70余名が参加されました。
式典は、まず当大学の川原俊明学長の「開会挨拶」の後、ご来賓のご紹介に続いて、蕪村生誕誕誕300年記念事業委員会委員長で、大阪市立大学文学部の村田正博教授が、「蕪村のことば」をテーマに講演を行いました。

このあと「一般の部・児童生徒の部・国際俳句蕪村賞の部」の「受賞句と選評」、三村純也大阪芸術大学文学部教授(当講座選考委員会委員長)が行われました。
これに続き、当講座の朝妻力講師と山尾玉藻講師から「一般の部の講師推薦賞と選評」が行われました。

これを受けて「授賞式」に移りました。「一般の部」では、選句された受賞句に「大阪府知事賞、大阪市長賞、俳句大学学長賞」が授与されました。

「児童生徒の部」では、1200人児童生徒から応募された作品を、浅川正講師の一次選考を経たあと、三村純也教授の最終選考に依る「受賞句」に「大阪府知事賞、大阪市教育委員会委員長賞」が授与されました。

また前期から始まった「国際俳句蕪村賞」の授与では、海外からの応募作品から選考された受賞句に「大阪府知事賞、大阪市長賞、俳句大学学長賞」の各賞状が渡されました。特記致しますが、今期から新たに「独立行政法人・国際交流基金の理事長賞」が授与され、国際俳句交流の成果が一段と増しました。

「表彰式」のあと、会場近郊の「蕪村公園」に移動し、受賞句を刻字した「プレート碑」の除幕式が行われ、式典が締め括られました。

桜の開花が始まった同公園での「記念プレート碑除幕式」では、受賞者やご
家族、学長、講師先生らが「記念プレート碑」を背景に交互に記念撮影を行い、これまでに無い感動と歓声の渦が巻き起こりました。

皆様のご協力を頂き、大盛会の内に「第6期表彰式」が無事終了しましたことに、心から感謝申し上げます。

4月からは「第7期講座」が始まります。第7期からは、「雨月」俳句会主宰の大橋晄講師による新講座が開講します。

ところで、蕪村生誕300年記念「年」が、僅か3年後の平成28年に迫って参りました。この記念「年」に向けて諸事業を進めております。
昨日の23日には、25年の最初の事業として大阪市立大学と共催して「蕪村ゆかりに地歩き会」が行ったばかりです。

この4月から始まる第7期講座からは、「一般の部」受講生の俳句つくり熟達への挑戦講座で盛り上げて行くのは勿論ですが、児童生徒からの俳句作品応募制度は更に拡大し、従来の公立学校からの作品応募だけではなく、私立学校からも新しく作品応募に参加をして頂くことになりました。

さらに力を入れて行くのは、蕪村に象徴される大阪俳句文化を世界に広げていくことです。徐々に軌道に乗り出しました「国際俳句蕪村賞」授与を軸に、海外諸国と俳句交流事業を進めて行きます。その意味でも、7期・8期と「独立行政法人・国際交流基金」から「後援」と「理事長賞」授与の支援してもらえることになったのは、諸外国との国際俳句交流が益々盛り上げる要因に繋がるだけに、意を強くしております。

「世界最短の詩・俳句」が海外諸国で意外に俳句愛好者が多く、俳句つくり研究が想像以上に盛んであるが、分かってきました。こんな動静が初めて把握出来たことは、実に喜ばしいことでありました。
大阪と諸外国とこの「俳句文化」を通じて繋がりを深め、「蕪村公園」を中心に蕪村ゆかりの地の大阪へ諸外国から集客を図ろうという計画も進めます。

本日の「表彰式」と「受賞句碑の除幕式」の感動は、忘れることが出来ません。第7期からは、「俳句講座」と「300年記念事業」を盛り上げて参ります。特に事業の目玉は「蕪村公園内に蕪村銅像」を建立して大阪市に寄贈し、蕪村公園のシンボルになる様、努力していく覚悟です。

今度の表彰式の式次第と受賞句の内容は、「リンク」してご覧くださるようにしております。川原学長の挨拶と村田委員長の講演、そして三村教授による「国際俳句蕪村賞の受賞句と選評」は、「英訳」を添付しております。諸外国の俳句愛好家の方々も、是非ご一読下さい。
(We have English translation for “Message from President”, ”Lecture from professor Murata” and ”Comments on Winning Entries” on the pamphlet. )。

どうか、今後とも皆様のご尽力を賜りますよう心から祈念申し上げます。
                              以上
posted by 21キンキ at 16:02| チョット教えて! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月23日

◆俳人蕪村「幻の生誕地」を見た

毛馬 一三

               
NPO近畿フォーラム21主催「蕪村生誕300年記念事業委員会」が、大阪市立大学と共催して、「蕪村生誕300年記念事業」を、いよいよ本格化し始めた。
 

本事業は、昨年24年の暮に、国際俳句交流となる「国際交流蕪村賞」授与記念として、大阪市毛馬町の「蕪村公園内」でサクラ・ウメ・モミジの植樹祭を行い、その第1歩を踏み出した。
 

今回は25年の最初の事業として、大阪俳人蕪村ゆかりの地を巡る「毛馬まち歩き会」事業を、大阪市大学とNPO法人近畿フォーラム21主催の「蕪村生誕300年記念事業委員会」が共催して行ったものだ。

この「毛馬まち歩き会」では、当初一般参加者を公募したところ、定員20名にアッという間に応募が集まり、大阪俳人蕪村ゆかりの地巡行への関心の高さを知らされた。

同事業は、同日13時に大阪市北区天神橋六丁目の「大阪市住まいいの情報センター」に一般参加者と関係共催団体から30名が集合。

まず大阪市立大学の大場茂明教授が、参加者に対して、当日の「毛馬まち歩き会」の主旨と巡行の道順の説明を行ったあと、本番の「歩き会」を開始した。

まず長柄八幡宮へ→淀川河川事務所→毛馬閘門・蕪村生誕の碑(淀川堤防)→蕪村公園を経て→飛翔橋で解散。約3時間をかけた「歩き会」の巡行だった。

この巡行の内「淀川河川事務所」では2人の係官が、国の重要文化財「毛馬閘門」の周辺部を細部に誘導しながら諸説明をして呉れた。特に「毛馬閘門」を施工した明治時代の技術が、如何に優れていたものだったかを、参加者の土木技術者に実感させていた。

更に参加者を驚かせたのは、蕪村生誕地「毛馬村」の所在が、実は明治29年の淀川河川工事によって完全に埋め立てられ、「毛馬村」は川底に埋没させられ、村全体が消滅して仕舞た事実の説明だった。
つまり、川底に埋没したままになっている「幻の生誕地毛馬村」が、現在の淀川堤防の上から、はっきりと遠望出来たのである。目の前の川底に消滅した「幻の毛馬村」を目撃出来た参加者のほとんどが、胸を打ち震わせていた。

つづいて「蕪村生誕の碑(淀川堤防)」を巡ったあと、淀川支流の「大川」の側にある「蕪村公園等」に辿り付いた。

そこで大阪市立大学の村田正博教授(蕪村生誕300年記念事業委員会・委員長)が、「毛馬村が蕪村生誕地であることを証明」する「古文書」のコピーを参加者に配布して講演。NPO法人からも大阪市造営の「蕪村公園」の構造、蕪村俳句の句碑の配置などについて、説明をした。

大川の桜並木の開花が進み、春めいてきた陽気の下での「毛馬まち歩き会」は、参加者から大いに感動を誘ったようだった。その様子を見ながら「蕪村生誕300年記念事業」の本格的開始が、一応成功裡に終わったことに心から感謝した。

これからは更に「蕪村生誕300年記念事業」を本格化していく方針。今度の「歩き会」ご協力頂いた大阪市住まいいの情報センターにお礼を申しあげたい。


ところでこれから「蕪村生誕300年記念事業」は、「海外諸国との国際俳句交流活発化と俳句作品の募集」、「蕪村学者による蕪村シンポジューム」、締め括りは「蕪村公園に蕪村銅像の建立」の計画を進めていく方針。どうか皆様のご協力、ご助力を賜りますようお願いしたい。

今日の3月24日は、市民講座「蕪村顕彰俳句大学」第6期の「優秀句表彰式」と近郊の「蕪村公園」での「同表彰句の記念プレート碑」の除幕式を行う。

どうか俳句つくりご興味のある方、また俳句をこよなく愛する方々に是非ともご参加頂きますようお願いしたい。
                             以上

posted by 21キンキ at 20:02| チョット教えて! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月05日

「蕪村顕彰俳句大学」Web再リニュアールしました

NPO法人近畿フォーラム21主催
                 蕪村顕彰俳句大学 事務局

NPO法人近畿フォーラム21主催の「蕪村顕彰俳句大学」は、ホームページを昨年12月末に、一旦リニュアールしました。大阪生誕俳人与謝蕪村の高揚と、「俳句つくりに親しむ句会講座」のご紹介を中心に、過去6期講座の実績と蕪村俳句文学コーナーなどを更新したものでした。

ところが、当「蕪村顕彰俳句大学」では、海外諸国と国際俳句交流を第5期講座から始めた処、諸外国からいろんな問い合わせや作品応募が来始めたため、新しく「国際俳句蕪村賞」を設け、諸外国の優秀句に同賞を授与したのです。

こうした経過が急速に拡大し出したことから、昨年暮リニュアールした「国際俳句交流」活動動静と海外からの応募作品実績をお知らせする新しいWebのリニュアールに迫られ、遂に先般3月初めに再び実行しました。

「俳句は人と人との“こころ”をつなぐ、世代と歴史を超えたこころのコミュニケーション」という表題を掲げ、既に掲載している
@ 講座 蕪村顕彰俳句大学
A 蕪村生誕300年記念事業コーナーに加えて、新しく設けたのが

B 与謝蕪村と大阪
C「国際交流」バーチャル蕪村公園
D「国際交流」国際俳句蕪村賞の新規3コーナーです。

このうち、「与謝蕪村と大阪」エリアは、国内外からの大阪観光目的地化の為に作成しました。出句の俳句作品と、大阪との繋がりに関連性を持たせて紹介しているWebサイトは存在しないと思われます。

ところで再リニュアール中核の「国際交流:バーチャル蕪村公園」エリアでは、
・国内から投句されたもの=投句作品エリアに掲載
・国外から投句されたもの=参加国投句作品エリアに掲載(国旗をクリック)
・国内外で出句、返句の交流=国際俳句交流エリアに掲載
しております。

特に、「国際俳句交流の出句と返句のご紹介コナー」では、日本俳人の句に、外国からの返句で交流し合う新しい形式を採用しております。

是非、下記から是非ご覧ください
 http://www.buson-kensho-u.com/

これだけの所外国から投句をして頂いた事、国内外で俳句を通じたこころの交流ができた事は非常に喜ばしい事であり、非常に画期的な試みであると思います。

国際俳句交流は、これから益々盛んになっていきます。日本の「俳句講座」でつくられた俳句が海外に向けて発信され、諸外国の俳句愛好家がこれらの俳句を通じて、こころを通わせてくれることには間違いありません。(了)

posted by 21キンキ at 14:11| チョット教えて! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月28日

「国際交流基金」が第7・8期「講座後援」を承認

〜同2期とも特別賞「国際交流基金理事長賞」の授与も〜
     
                   NPO法人近畿ホーラム21

既にご報告致しておりますが、NPO法人近畿ホーラム21主催「蕪村顕彰俳句大学」が活動の柱のひとつとして進めている国際俳句交流の実績が評価され、この3月24日に行う「第6期表彰式」に於いて、独立行政法人「国際交流基金」」から「後援」と共に、同法人「理事長賞」授与の承認を頂くという、画期的なことが出来ました。

これを受けて、当NPO法人では、「表彰式」だけではなく、平成25年4月から平成26年3月までの1年間開講する第7・8期「蕪村顕彰俳句大学」講座に対して、同法人の「ご後援」と、これに伴う「表彰式」で、特別賞として同法人理事長賞を授与して頂くことを「申請」していました。

その結果、独立行政法人「国際交流基金」から、先般両「申請」に対して「承認書」が交付されました。こんな慶事は御座いません。

国際俳句交流は、現在フランス、ウクライナ、ロシア、台湾との間で、進められており、3月24日の「表彰式」では応募作品の中から選考された、「優秀句作品」に「賞状授与」することにより、日本の伝統文化「俳句」の振興を高揚して参りたいと存じております。

さらに、欧米諸国やアジア、南米諸国とも、国際俳句交流をしたいと考え、関係団体を通じて折衝を、目下進めております。

従って、今後の国際俳句交流先は、更に広がり、Webサイトを通じて「応募による投句」がなされるものと期待を寄せております。
 

NPO法人近畿ホーラム21主催「蕪村顕彰俳句大学」では、国際俳句交流を今後大いに発展させていくことに努力をして参る所存です
 ご報告まで
                            以上

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2013年02月16日

◆第6期表彰式に向け「優秀句選考」

〜蕪村公園の植樹に大阪市長から「感謝状」〜
                            NPO近畿フォーラム21 事務局

第6期講座「蕪村顕彰俳句大学」の表彰式は、3月24日(日)午前10時から、大阪市都島区毛馬町の大阪市立淀川小学校で開催します。

この表彰式では、平成24年10月から開講した第6期講座「蕪村顕彰俳句大学」の「一般の部」、「児童生徒の部」、「国際俳句蕪村賞の部」の3部の「優秀句表彰」を行いますが、これまでに海外交流国を含め作品が出揃いました。

これを受けて、同表彰式で表彰する「優秀句を選考」するため、当大学の「選考委員会」に出句作品を提出し「ご選考」をお願いしました。今月中には、「優秀句選考」は終了し、各賞の受賞者が決まる予定です。

どうか、3月24日(日)午前10時からの「表彰式」には、俳句愛好の一般の方のご参加をお待ちしております。

ところで、昨年12月当NPO法人近畿フォーラム21が、蕪村生誕300年記念事業の「国際俳句交流」事業として「蕪村公園」で行った「国際俳句蕪村賞」の記念植樹に対して、植樹寄贈先の大阪市長から「感謝状」が授与されました。ご報告いたします。
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2013年02月09日

◆政府が「国際俳句交流事業」推進に支援

NPO法人近畿フォーラム21主催
                       蕪村顕彰俳句大学
                       学長  川原俊明


 NPO近畿フォーラム21主催の講座「蕪村顕彰俳句大学」は、来る3月24日(日)に開催する当大学第6期の「蕪村顕彰俳句大学の表彰式」で、「句会講座」出句作品と海外からの応募作品の優秀句に対して、表彰状を授与致します。


こうした中で、同表彰式に向けて、政府(外務省所管)の外郭団体:独立行政法人「国際交流基金」から、表彰式の「後援名義使用」と「国際交流蕪村賞に国際交流基金理事長賞の交付」が、承認されました。ご報告致します。
 
 
これは、講座「蕪村顕彰俳句大学」と「蕪村生誕300年事業委員会」のこれまでの実績が認められ、特に第5期講座から始めた諸外国との俳句文化交流推進事業が評価されたことから、「表彰式の後援」と「国際俳句蕪村賞に理事長賞」授与が承認されたのです。
 
 
政府から、我々が推進している「俳句文化交流推進事業」認めて、支援して頂くことになったことは、正に画期的であり、誠に慶事なことです。


ところで、独立行政法人「国際交流基金」(英語名:Japan Foundation)は、日本の外務省が所管する独立行政法人の一つです。1972年に設立され、理事長は、安藤裕康氏。
 

同法人概要は、<「国際文化交流事業を総合的かつ効率的に行なうことにより、我が国に対する諸外国の理解を深め、国際相互理解を増進し、及び文化その他の分野において世界に貢献し、もって良好な国際環境の整備並びに我が国の調和ある対外関係の維持及び発展に寄与することを目的とする(独立行政法人国際交流基金法第3条)」


文化芸術交流、海外における日本語教育、日本研究・知的交流、調査研究・情報提供を行っており、国内に京都支部を、海外21ヶ国に海外事務所23ヶ所を持つ。高円宮憲仁親王が職員として勤務していたことでも知られ、日本の国際文化交流の拠点となっている>です。(参考:ウイデェペキア)
 
これにより、「蕪村顕彰俳句大学」は、「句会講座」と共に「蕪村生誕300年記念事業」と併せて、全国は勿論、世界に対して「大阪蕪村俳句文化振興」の発信を進めますが、今回の承認により更に「国際俳句交流事業」の世界への展開が一層進展出来ることになりました。
 
 これからは、「表彰式時の後援」だけでなく、「蕪村顕彰俳句大学」講座と「蕪村生誕300年記念事業」に「常時後援」のお願を申請したいと考えて居ります。

 この度、政府の「国際交流基金」の支援を得たことにより、既交流先のロシア。フランス、ウクライナ、台湾に続いて、アメリカ、イタリー、ドイツ、ブラジル等、新しい諸外国との「国際俳句交流先」の「絆」を結ぶ交渉を積極的に進めて参ります。

ところで、今回の第6期表彰式での「国際俳句蕪村賞」には、ロシア。フランス、ウクライナ、台湾の「応募作品」の優秀句に「大阪知事・大阪市長・当学長」名と、今回承認された「国際交流基金理事長」名による賞状を授与致します。

 講座「蕪村顕彰俳句大学」表彰式の「ご後援」と「国際俳句蕪村賞」に「国際交流基金理事長賞」の授与を承認されことに対し、改めて深くお礼を申し上げます。

 政府から画期的なご支援を得たことにより、講座「蕪村顕彰俳句大学」の活動と、「蕪村生誕300年記念事業」に基づく「国際俳句交流」が、益々盛んになりますよう努力をして参ります。

 どうか、国内は勿論、世界の俳句愛好者の方々にも、「日本伝統俳句文化振興」のご支援・ご協力を切にお願い致すと共に、特に諸外国の方には「国際俳句交流」の「絆」を新たに結んで頂きたく心から期待をしております。

どうぞ、よろしくお願い申し上げます。

 

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2011年02月11日

大阪文化振興支援活動へ本格化

                     平成23年2月10日
大阪文化振興支援活動へ本格化

NPO法人近畿フォーラム21
                            理事長  池尻 一寛

「NPO法人近畿フォーラム21」は、まちづくりに重点を置いて活動をすすめて参りましたが、平成22年4月からは大阪文化振興支援にも力を入れて来ました。
大阪市毛馬町(江戸時代:摂津東成郡毛馬村)に、一昨年大阪市が「蕪村公園」を造営した機会に、文化振興支援活動の一環として、平成22年4月に市民講座「蕪村顕彰俳句大学」を設立、大阪府・大阪市などの後援を頂いて「第1期講座」を開講致しました。大阪俳人蕪村の名を高め、市民に「俳句づくり」に親しんで頂くためです。
「第1期講座」では、大学教授や俳句結社講師による「俳句の歴史講義」「句会」を行い、同年9月、受講生出句の最優秀作品に「大阪府知事賞・大阪市長賞・講座学長賞」を授与する表彰式行いました。その際「最優秀句を刻字したプレート句碑」を蕪村公園内に設け顕彰致しました。
同年10月からは「第2期講座」を開講し、23年4月からは「第3期講座」に取り掛かります。特に「第2期講座」では、市立中学国語教諭講座を設け、教諭の授業で出句してもらった生徒の「優秀句」に、大阪府知事賞と大阪市教育委員会委員長賞を、この3月27日の「表彰式」の際、授与致ことにしております。
 お陰さまで各地からの関心が高まり大いに盛り上がって来て居りますが、この活動を更に拡大していこうと、23年から更に新しい活動を始めることに致しました。
と言いますのは、松尾芭蕉、小林一茶の生誕地は熟知されていますが、残念ながら与謝蕪村の生誕地が、大阪であることは余り知られていないのが実情です。
そこで、2016年に蕪村生誕300年に迎えるのに焦点を合わせ、「蕪村俳句」を全国・海外に広めていくために記念事業を進める「生誕300年記念事業実行委員会」を、大阪府、大阪市等の支援を受け、平成23年1月末に立ち上げたのです。
同「実行委員会」では、5年後の生誕300年に向け「いろいろな記念事業」を年次毎に拡大しながら、毎年秋に開催していく予定です。
「実行委員会」では、大阪文化振興に熱意のある各界方々にお願いし、組織へのご参加や賛助会員としてのご加入をお願いしたいと存じて居ります。蛾傘下のご連絡をお待ちして居ります。
どうか大阪文化振興と後世の人たちのために貢献したい当NPO法人の趣旨にご賛同の上、市民講座「蕪村顕彰俳句大学」と共に、お力添えとご参加をお願い致す次第です。どうぞよろしくお願い申し上げます。
                              (以上)
          事務局:電話(FAX)06−6928−9773
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