2016年01月02日

◆今年は「蕪村生誕300年」の「年」

〜2016年01月01日〜

 
NPO法人近畿フォーラム21
                     理事長   池尻 一寛



明けましてお目出度う御座います。

いよいよ今年は2016年になり、「蕪村生誕300年」の「年」を迎えました。

そこで、我々NPO法人近畿フォーラムが主宰し、蕪村顕彰俳句大学(学長 川原俊明弁護士)、蕪村生誕300年記念行事実行委員会(委員長 村田正博大阪市大文学部教授)、兜カ學の森(社長 姜h東)、淀川神社(宮司 横路良)と共同して、新年から各種の「記念行事」を行います。

残念なことに、江戸時代の三大俳人の内、芭蕉と一茶は、生誕地で毎年盛大な「御祭り」が行われていますが、与謝蕪村だけは、生誕地の大阪毛馬町で「生誕記念御祭り」が行われたことが在りません。ですから、大阪地元ですら与謝蕪村が、大阪毛馬生誕の俳人だとは、中々知られていないのです。

これでこれを我々の努力で、俳人蕪村の顕彰と俳句文化の振興、そして大阪毛馬生誕蕪村を後世に継承しようというのが、行事共同者との目的であり、願いなのです。

では、「生誕300年」の「年」を迎える与謝蕪村のことを、改めてこれから追々。

与謝蕪村は、享保元年(1716年)、摂津国東成郡毛馬村(大阪市都島区毛馬町)で生まれました。丁度今から300年前の享保元年です。これだけははっきりとしています。ところが、肝腎の「蕪村生誕日」が分らないのです。

蕪村(幼名―寅)は、京都丹後与謝から毛馬村の商屋の奉公人として来た母親が、庄屋と結ばれて産まれまれました。庄屋の父の正妻には娘が居たようですが、蕪村は、庄屋を引き継ぎ出来ない私生児だとして、一族からは冷酷な扱いに遭わされたらしいようです。

そのうえ母親と父が若くして死去したあと、蕪村が庄屋跡継ぎに成れることはなく、後年に一時、後継者の役割を果して欲しいという身勝手な一族要請の仕掛けもあったようですが、「後継者資格なし」の理由が再興して、結局、生誕庄屋自体は大阪豪商から奪われるように買い取られ、家伝庄屋は潰れてしまったのです。

このためでしょうか蕪村は、17歳〜20歳頃、生誕地毛馬の出奔を余儀なくされ、江戸に下ったのです。上記の劣悪な諸事情からでしょうか、蕪村は出奔以来、極度な望郷は感じながらも、実際は生誕地「毛馬」に一歩も足を踏み入れていないのです。

蕪村が飛び出した先が、江戸の日本橋石町「時の鐘」辺に住む俳人早野巴人でした。蕪村は、師の寓居に住まわせて貰い、宰鳥と号しています。

<寛保2年(1742年)27歳の時、師早野巴人が没したあとは、下総国結城(茨城県結城市)の砂岡雁宕のもとに寄寓し、松尾芭蕉に憧れてその足跡を辿り東北地方を周遊しました。その際「蕪村」と号したのです。

その後丹後、讃岐などを歴遊し、42歳の頃京都に居を構えました。 45歳頃に結婚し、一人娘くのを儲けたのです。島原(嶋原)角屋で俳句を教えるなど、以後、京都で生涯を過ごしました。明和7年(1770年)には、夜半亭二世に推戴されています。

蕪村は、天明3年12月25日(1784年1月17日)未明、京都市下京区仏光寺通烏丸西入ルの居宅で、68歳の生涯を閉じました。> 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

さて、蕪村は定住していた京都から船で淀川を下り、生誕地毛馬村をすり抜けて、頻繁に大阪に苦吟にやって来ています。京都から淀川を船でやって来て大阪に上ったのは、生誕地毛馬村と少し離れている淀川(現在は大川)下流の源八橋の検問所があった船着き場でした。ここから、大阪市内に居る数多くの門人弟子らを訪ねて回っているのです。

しかし船着き場の源八橋から「生誕地だった毛馬村」まで歩いても、僅か30分ほどしかかかりません。それなのに蕪村は、生涯毛馬には一歩も足を踏み入れなかったのです。

やはり母と父の死後、家人から苛められ過ぎて、再び帰郷すれば脳裏全体に辛苦が走ることを考え、終生このことが「怨念化」して郷里立ち寄りを阻んだのでしょう。とは云うものの、蕪村の「望郷の念」は、人一倍あったのは間違いありません。

さて、ここから大切な私たちの「蕪村生誕300年の年」の行事の活動です

蕪村の父はいまも存在する「淀川神社」氏子でした。ですから父母と一緒に蕪村は「淀川神社」に参詣しことは江戸時代の常習でした。蕪村は幼少の頃から江戸へ出奔するまでの苦衷の念に浸されていたのころ、氏子として「淀川神社」に祈願参詣したでしょう。

従ってこのご縁を取り入れ、念願の「蕪村生誕300年の御祭り」の最初行事として、今もある淀川神社境内に、協賛者のご協力をえて昨年暮、高さ1m60pの「蕪村銅像を建立」しました。

そして、建立した「蕪村銅像の除幕式」を、正月23日午後1時から行うことにしています。まさに最初の「記念行事」になります。

続いては、3月10日に、大阪市大と協力して大阪天神橋六丁目の「大阪区民センター」で「講演会」開催し、蕪村通り商店街の会長や建築家に出演してもらい、蕪村に馴染むまちづくり計画の提示を基に「討論会」を実施します。これが「蕪村生誕300年の年」からの蕪村まちづくりに着手する二次目の行事です。

更に5月1日の午後1時からは、「都島区民センター」で、蕪村生誕300年行事実行委員長・村田正博市大教授主導で、盛大な「蕪村生誕300年シンポジューム」を、学者や俳人、受講講師、弁護士が参加して「講演会」「討論会」を開催します。大阪で「蕪村を主題としたシンポジューム」が開かれるのは、これが初めてです。

そして9月11日には、株o句界と共同して、全国・地元・諸外国から俳句作品を募集し、優秀句の「表彰式」を行います。その優秀句を近郊の蕪村公園に「プレート碑を建立し、除幕式を行います。更にはその公園内に「生誕300年を祝する記念植樹」や「御祭り踊り」等の「300年記念行事」を行うことにしています。

何としてでも「蕪村生誕300年記念祭」に実効をあげ、大阪俳人与謝蕪村の名を、NPO法人のホームページや都島区役所の広報、地元・全国俳句愛好家等を通じて、国内外に広めたいと考えています。後世の継承していくのも、当然の使命です。

大阪を行脚しながら、生誕地毛馬町に一度も足を踏み入れなかった蕪村を、今年の「蕪村生誕300年記念祭」開催時に、「蕪村の魂」だけでも大阪毛馬の地に飛来して貰いたいと思っています。「望郷の念」に浸されていた蕪村の「夢」を実現させることが、願いなのです。(了)
posted by 21キンキ at 09:49| 新活動の展開 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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