2014年09月28日

◆与謝蕪村顕彰を高めていく

蕪村顕彰俳句大学
毛馬 一三





江戸時代中期の大阪俳人で画家である与謝蕪村は、享保元年(1716年)、摂津国東成郡毛馬村(大阪市都島区毛馬町)に生まれている。生誕地が大阪毛馬村と余り周知されていない事実のことは本誌で既に触れている。

しかし、蕪村が俳人として大阪の中心部を活躍の舞台にしていたことには触れていない。
むしろそれに気づかなかったのが本当のところだ。それはこれから追々。

蕪村は、17歳〜20歳頃、生誕地毛馬を飛び出し、江戸に下っている。なぜ江戸に下ったのか。これすら未だはっきりしない。しかも蕪村は出奔以来、極度な郷愁は感じながらも、実際は生誕地「毛馬」に一歩も足を踏み入れていない。なぜだろう。

おそらく、京都丹後与謝から毛馬村の商屋の奉公人として来た母親が、庄屋と結ばれて蕪村を産んだものの、若くして死去したため、蕪村が庄屋の跡継ぎにも成れず、周囲からも過酷ないじめに遭わされたことなどから、意を決して毛馬村を飛び出したのではないか。

しかも蕪村が飛び出した先が、江戸の日本橋石町「時の鐘」辺に住む俳人早野巴人だ。だが、どうしてこんな超有名な俳人に師事しに訪ね、俳諧を学ぶことができたのか、田舎の毛馬村と江戸との結びつきや、師匠との今謂うコネがどうして出来たのか、これもミステリーだらけだ。この時蕪村は、師の寓居に住まわせて貰い、宰鳥と号している。

<寛保2年(1742年)27歳の時、巴人師が没したあと江戸から脱し、下総国結城(茨城県結城市)の砂岡雁宕(いさおか がんとう)のもとに寄寓し、松尾芭蕉に憧れてその足跡を辿り東北地方を周遊した。

その際の手記を寛保4年(1744年)に編集した『歳旦帳(宇都宮歳旦帳)』で、初めて「蕪村」と号したのである。

その後丹後、讃岐などを歴遊し、42歳の頃京都に居を構えた。 45歳頃に結婚し、一人娘くのを儲けた。島原(嶋原)角屋で句を教えるなど、以後、京都で生涯を過ごした。明和7年(1770年)には、夜半亭二世に推戴されている。

京都市下京区仏光寺通烏丸西入ルの居宅で、天明3年12月25日(1784年1月17日)未明68歳の生涯を閉じた。>出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

さて、蕪村は定住していた京都から船で淀川を下り、頻繁に大阪に吟行のためやって来ていたことが、最近分かってきた。

船から陸地に上がったのは、生誕地毛馬村から2キロほご離れた西側の淀屋橋や源八橋からだ。ここには「検問所」があったためで、ここから大阪市内にある数多くの門人らを訪
ねて回っている。源八橋付近は「梅」の木の囲まれていたという。

蕪村は、俳人西山宗因のお墓(大阪市北区兎我野町 西福寺)を訪ね、大阪の蕪村の門下人の武村沙月、吉分大魯(よしわけ・たいろ)のほか、西山宗因の門下の上島 鬼貫(伊丹の人)の処を回っている。つまり大阪市内の各地を回っている。   

特に、吉分大魯は、阿波の出身で、安永2年 (1773)から6年まで、大阪「蘆陰舎」に滞在(安永7年、兵庫で没)しており、この「蘆陰舎」に蕪村は足繁く立ち寄っている。逆に大魯をつれて、淀川を船で上り、京都の蕪村門下を代表する高井几董に会わせるなど、京都―大阪往復行脚は活発だったようだ。(大阪市立大学文学部)

早い話、蕪村にとり大阪も活躍の場だった訳だ。これもあまり知られていない。

こんな折、驚くご縁と嬉しい話が飛び込んできた。

蕪村生誕地近郊に大阪市が5年前造営した「蕪村公園」の横に、「淀川神社」がある。しかも、大川(旧淀川)の前にある神社はここだけだ。私自身も拝礼しに行く神社はここだ。

ところが、地元の町内会長のご紹介で、「淀川神社の宮司」と会うことが出来た。宮司とは初めての対面だったが、宮司の実に素晴らしいご意向を聴かされた。

2年後の「蕪村生誕300年祭」行事を神社でも行いたいし、神社でも「俳句会」を行いたい。蕪村顕彰を後世の為に諸活動を進めて行きたい、などの強いご意向だった。

「蕪村顕彰」事業を既にすすめているNPO法人近畿フォーラム21で、私が活動していることを町内会長から聴かされたので、いち早く会いたかったと告げられた。このご縁とは、実に素晴らしいものだった。

しかも「蕪村顕彰」を後世継承したい私の考えと全く一致し、地元の神社が蕪村顕彰の発信地となり、これから神社で「蕪村顕彰」祝事をして頂くとは、まさに“快挙”と言えよう。

しかも、蕪村が大阪に吟行に来ながら、一度も実家に寄らなかったわけがあっただけに、この時代になって旧実家の近くにある、ここ「淀川神社」で蕪村の望郷の念を繋いでやることは、蕪村も大いに喜ぶだろう。

宮司の話に感動し、近く再会して活動の進め方を話あうことになった。後世のために蕪村を顕彰し、俳句文化振興活動をしようという当NPO法人の試みは、立ち上げてから4年が経って画期的な話が舞い込んできたことになる。

大阪を行脚して回り俳人としての名を高めた与謝蕪村を、この地元「淀川神社」から全国、初外国に広めて行こう。

posted by 21キンキ at 19:23| 活動報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月15日

◆九期「蕪村顕彰俳句全国大会」 開催迫る

蕪村顕彰俳句大学 主催
兜カ學の森    共同


NPO近畿フォーラム21の「蕪村顕彰俳句大学」が主催、兜カ學の森が共同して開催する第九期「蕪村顕彰俳句全国大会表彰式」が、9月21日(日)午後1時に迫りました。

会場は、蕪村生誕地近くの大阪市都島区毛馬町の大阪市立淀川小学校です。

蕪村顕彰俳句大学が兜カ學の森と共同して開催する今期の「蕪村顕彰俳句全国大会」は、七期につづく2回目の全国俳句大会の行事で、「全国の俳句愛好家と蕪村顕彰俳句大学の句会講座」の受講生から応募された俳句作品を、8名の選考者に選考して頂いた優秀句を表彰するものです。

上記「一般の部」の優秀句には「大阪府知事賞、大阪市長賞、関西・大阪21世紀協会理事長賞、蕪村顕彰俳句大学学長賞、文學の森賞」の賞状を授与します。また入賞者20名に対しても、賞状を授与します。

同時に大阪市内の公私立小中高を対象にした「児童生徒の部」では、選考されて優秀句に「大阪府知事賞、大阪市教育委員会委員長賞、蕪村顕彰俳句大学学長賞」の3賞と「佳作賞」を授与します。

更に諸外国からの作品応募の中から選考された優秀句に「国際蕪村俳句賞」として、「大阪府知事賞、国際交流基金理事長賞」に賞状を授与致します。

ところで、今回の「蕪村顕彰俳句全国大会」での注目は、勿論上記の受賞式ではありますが、式典次第のメインイベントとして「選考者」代表3名の方々に、
「優秀句選考の寸評」をして頂くことです。

蕪村顕彰俳句大学の選考委員長を兼務して頂いております三村純也大阪芸術大学教授に司会を依頼し、現代俳句協会名誉顧問の宇田喜代子様と日本伝統俳句協会関西支部長の千原叡子様との間で、「今期の選考逸話や優秀句の評価」などをお知らせ頂き、如何に今期の全国大会が意義あるものだったかを「寸評」に交えながら合議して貰おうと期待しております。

そして最後のイベントは、三村純也選考委員長に「児童生徒の部」と「国際俳句蕪村賞」の受賞者句の「寸評」をお願いして居ります。

締め括りは、蕪村顕彰俳句大学の「句会講座」をご担当して頂いた朝妻力、大橋晄、石川多歌司、山尾玉藻の各講師の「講師推薦賞」の受賞式を行い、(山尾講師は主宰句会の総部会のため、欠席)3名の講師に「講師推薦賞」を受賞される受講生の受賞句「寸評」をして頂き、賞状を授与致します。

式典はこれで終了させて頂き、つづいて近郊の「蕪村公園」で「優秀句記念プレート碑」の除幕式の儀式を行います。「優秀句記念プレート碑」は、今九期で、九基が並ぶことになりますが、ここでは式典と「記念撮影」などが盛大に行われます。

どうか9月21日(日)午後1時からの第九期「蕪村顕彰俳句全国大会表彰式」と近郊の「蕪村公園」での「優秀句記念プレート碑」除幕式に、是非ご参加頂きますようお願い致します。
posted by 21キンキ at 13:36| 活動報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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